ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

ふんばる…!!

前回のブログから、もうすでに3ヶ月たってしまいました。
あっという間の3ヶ月…というか、この3ヶ月の日々でさえも、私にとっては激動的変容の時でした。
変わり始めると、ひとつのことだけが「変わる」わけにはいかず、次々と周りのことも変化が起きていかなくてはならないのは、仕方のない事でしょうし、ある意味うれしくワクワクすることでもありますが、病人にとってはかなり疲れます(笑)。

さて、3ヶ月ちょっと前に何が起きたのかと言えば、あるイベントに参加して「私とあなた」の境が消える瞬間を垣間見たことと、そこで私の心のプライベートな部分での浄化と再生が起こったことです。
そのことを、ブログに上げようと、文章にまとめましたが、どうやらプライベートな部分があまりに濃厚な内容となり、載せる為にはその「説明」までもが必要となることに気づいたもので、プライベートな記録としてとっておくことにしました。つまり、書いたもののこちらには載せません。申し訳ありません。いつか、載せても大丈夫な時が、あるいは載せる必要がある時が来るかもしれませんが、「その時」まで、しばらく眠っていてもらおうと思います。

さて、その変容のおかげなのか、それともいよいよアセンションの到来なのか(笑)、単に厳しい気候の激変に耐えられなかっただけなのか……最初の1ヶ月は私の内面とは裏腹に、体調はかなりのキビシイものが表に出て来ておりました。それでも、内面の変化のおかげで、気持ち的には妙に軽く明るくやり過ごせたことは、3ヶ月前のイベントに感謝しても余りあるものがあります♡

そのシンドい1ヶ月を越えて、この2ヶ月は、おかげ様で少しずつ体調は持ち直してきておりました。

たまにしか外出出来ず、家の中で過ごすことの多い日々の中で、気晴らしも兼ねてパソコンを観る時間が多くなったおかげで、実はこの間に私に新しい出会いがありました。それが、今回のお話です。

実は、この出会いのせいで、私は個人的に自分の為だけにじっくり考察する時間がほとんどなくなってしまい、ブログを書けずにいたのです。一応主婦でもあるので、家事全般は(多少の手抜きはありますが)私に責任があります。三田に住む実家の両親は78歳と84歳という高齢であるために、マメな連絡と訪問も余儀なく必要とされます。それに加えてこの新しく出会ったプロジェクトに参加したのです。他の方には大したことではなくても私にとってはかなりの身体への負担もあるので、自分の為にだけ使っていた時間は、ほとんどが、この体調調整にとられてしまったのです(まー自ら招いた事ですから、誰に文句が言えるわけでもありませんが)。
でも、よく考えてみたら、やけに充実してまして(それまでどんだけダラダラしてたんだか…笑)、以外と「楽しい」のですよ、これが。…で、この楽しさ、ありがたさも含めてご報告したく思い、頑張ってみました(笑)。

いつも参加しているTwitterで、友人が『ほぼ日刊イトイ新聞』の記事「西條剛央さんの、すんごいアイディア」を紹介していました。糸井さんはTwitterでフォローしていたのですが、その記事のことは、友人がツィートするまで気づきませんでした。
 ほほ日刊イトイ新聞
サイトに飛んで、読んでいて、「これは面白い!スゴいぞ!もしかしたら、私が鬱々としながら探していたものかもしれないぞ!」と、妙に血が騒いだのです。で、その団体のサイトにまた飛んで、ほとんど後先のことは考えずにFacebookから参加申し込みをしてしまったのでした。

それが、
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」でした。
 http://fumbaro.org/

3月11日以降、ただひたすら祈るように世界を見つめ続け、わずかながらの募金を所々でしつつも、行政や赤十字の復興支援を見ていると、歯痒さや悔しさや焦りばかりを感じてしまっていました。それだけのひどく大きな未曾有の震災だったのだ…と思っても、「なめるな!」と自分のネガティブさに蹴りを入れても、自分に出来る事は(祈り以外で)実務的に何もないのだろうか…とつい無力感に襲われてしまう自分に「なんとかしたいなぁ…」という思いばかりで日々を過ごしていた時に「これだ!」と第六感で思ってしまったのだから、急には止まれません(笑)。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の面白い所は、
もともと「被災した方々の為に何か役に立ちたい」というシンプルな意識の集まりで、インターネットを中心に動いている所です。
行政が「公平性」を絶対的に正しいことだとして、物が全員分揃わないと配らないということをやって、被災者支援を妨げたり、「個人情報保護」を徹底することで、送ることができる荷物が送られないということがあったり、と「まず被災者を救う」という本質を見失ったため、被災者支援から遠ざかる判断を幾度もしてしまい自分で自分の首を絞めてしまうような停滞を見せている中で、ネットを中心としてその穴を埋めようと動き始めたのが「ふんばろう東日本支援プロジェクト」でした。
ですから、今までのボランティア団体から見れば、かなり型破りです。核がインターネットになるので、場所や組織に捕われにくい。だから縦横無尽な自由さと行動力と活力があります。(でも逆に顔がはっきり見えない人同士で動くので(性格や価値観だって多様性ありますから)誤解が誤解を生んでしまい易い脆弱さもありますが…)

リーダーの西條剛央さんがこの団体のことを語る中でも、特にこの団体のことを象徴的に語り、私が気に入っている文章があります。

『「ふんばろう東日本プロジェクト」の基本モチーフの一つは自律的支援だ。各自がその場その場で考えて支援することを可能にするシステムを構築しようとしています。これは画期的な試みで実現すれば、より効果的な被災地支援が可能になる。
だから使う人も「ふんばろう東日本プロジェクト」に依存してはいけないし、運営側もそれに依存してはいけない。少しでもそういうものになったとき、このプロジェクトは本質を失うことになり十分に機能しなくなるだろう。
僕らは自分がいてもたってもいられなくて、誰かを支援したいのだ。させてもらいたいのだ。それだけのことだ。どんなやりかたでもいい。穴があったっていい。失敗してもいいし、重複したっていい。そんなことを気にしていたらその辺の行政と変わらなくなる。
そういうことは自戒を込めて胸に刻む必要がある。それからスタッフも大変だろうけど、大変だからこそ、言葉遣いは丁寧にするよう心がける必要がある。そして休むときは休んで、家族との時間も大事にして英気を養わなければならない。僕らが気持ちよく仕事ができなければ、現地の人によい支援を届けることはできないのだから。』
 http://www.facebook.com/groups/146589268744944/doc/184042888332915/

自立したそれぞれが自律して活動する…私にとっては、社会のあり方の理想的な形として、こうしたものを考えていたので、このやり方でどこまで行けるのか…にもかなり興味をもって参加しています。…そして、もちろんこの形が成功して欲しいので、微々たるものながら、少しでもお手伝いさせていただきたい、と思っています。

私は病人なので、最初はほとんど何もしてませんでした。
参加してみることが大事なような気がして、勘で参加しちゃったので、初めはとまどうばかりでした。でも、次第に参加して良かったと思うようになりました。例えば、「ふんばろう…」で募集しているコトやイイと思ったコトをTwitterでリツィートしたり、Facebookでシェアして自分の「友達」に広げるだけでも大きな支援になることに気づいたのです。「ふんばろう…」はもともと「何か役に立ちたい」というシンプルな意識の集まりで、それぞれが自律して「何か」をやることで成り立っているようなので、参加しながら自分に出来る事を探したり作ったりしていけばイイように思えてきてから、俄然肩の力を抜いて参加できるようになりました。
気づいたことがあったら、人を頼りにせず、まず自分から何らかのアクションをする…ということがこれほどうれしくて明るい気持ちにさせてくれるとは思いませんでした。

【ふんばろうからの提言】に
『「ふんばろう東日本」は「すべては被災地、被災者のために」をスローガンとします。目的はあくまでも「被災者支援」であって「失敗しないこと」でもありません。多少ミスしても被災者支援に大きく貢献できれば良いのです。』
というのがあります。これは私も「あまり何も出来ない」ことは、迷惑をかけることにはならないし、「何もしない」ことよりずっと尊いことなのだと、妙に実感していることでもあります。

そして、ここの活動で最も気に入っているのが「被災された方々が皆さん自立なさった時が活動が終わる時」という考え方。実はこの大震災で被災したのは、(直接的には東日本の方々がほとんどですが)間接的にではあっても、日本中の方々なのではないか…と考えているので、日本中の方々が、東日本の方々の自立をみて「そうだ、自分も!」と思う時、日本は凄いことになるように思えて仕方がないのです。そう思うと、さらにワクワクするのです。
少しでも、参加している自分がうれしいのです。

ちなみに、連れ合いとは、
「●今まで自分が役割として責任をもっていたことは疎かにしない。
 ●体調がもっと安定するまでは、被災地へは行かない
 (逆に迷惑をかけるかもしれないから)
 ●ストレスになって今までの生活が疎かになったり、
  無理をし過ぎて体調を崩すようなことがあったら、即活動は止める」
と約束しているので、なかなかスリルのある生活になっています(笑)。

私個人としては、被災していないからこそ、被災した方々のお力に少しでもなれる自分自身とそれを許してくれている連れ合い(病人だからヒヤヒヤしているみたい…笑)のいる環境に対して、ただただ感謝の気持ちで一杯なくらいです♡ 少しでも動けることに、ただただ自分は幸せ者だと思っています。

組織が大きくなってくると、次第にいろいろな思惑で参加する方々も増えて来て、次第に流れが鈍くなってきがちです。くれぐれも、組織を守らんが為の「ねばならない善意」と「そうあるべきではない、とする悪の排除」の意識が台頭しないよう、自律していきたいものです。

そういう意味でもふんばるゾ!!


と、ココで終わるつもりでいたら、私のTwitter友達の下平千尋さんの素敵なツイートがありました。

 「いつの間にか、自分の幸せ<娘さんの幸せ になってる。再確認。
  明日も頑張れそう。」

そうですね、自分の幸せ<誰かの幸せ の時って、とても充実してますよネ。
だから、今、私は幸せなんだなーと、しみじみ気づいたのでした。

私も明日も頑張れそう♡

ばくぜんとした絶望を横にどけて……。


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先週の金曜日から発熱や関節痛、アレルギー……と身体の不調が忙しく続きました。不思議と、予定していた用事の時だけは何とか動く事が出来、その後またダウン……という不思議な日々でした。
そんな中で、友人や両親、TwitterやFacebookで出会う皆さんの雰囲気が妙にぼんやりと重たいものを感じることが多くなって来ました。
私達は長い間の多過ぎる問題の海を漂いながら、緊張感と集中力と論理性を自分に課し続けてきたため、疲弊してきているのは確かでしょう。
なのに、ほとんどの問題はそのままだし、原発問題はひどい情報があらわになるばかりです。

昨日は午後からは天気が良く、風が冷たくて爽やかな日でした。雲は空で展示会でもやっているかのように、めまぐるしく形を変え、「雲見日和」と呼びたいくらいでした。
ちょっと出かける用があり、電車から雲を見ている時、これって「漠然とした絶望」って感じだなぁ…とフと思いました。

「漠然とした絶望」を人への愛情を込めて作った映画に『 M ☆ A ☆ S ☆ H 』という映画があります(と、私が思っているだけですが……)。
リチャード・フッカー原作の小説をロバート・アルトマン(監督)が1970年に映画化(アメリカ映画)しました。
カンヌ国際映画祭パルム・ドールやアカデミー脚色賞などを受賞しました。
タイトルのMASHとは移動米軍外科病院(Mobile Army Surgical Hospital)のことで、朝鮮戦争を舞台に、任務などそっちのけで勝手気ままに振舞う3人の軍医を描くブラック・コメディです。
映画は朝鮮戦争が舞台ですが、当時のアメリカはベトナム戦争期で、自分達ではどうにもならない「漠然とした絶望」をアイロニカルではありますが、妙に愛しく愛情溢れるやさしさを底に感じさせて描いており、とても素敵な(?)映画になっています。

この映画のメインテーマになっている曲に " Suicide is painless " があります。
この映画の中で、冒頭のタイトルバックで山岳地帯を飛ぶヘリコプターを背景に流れ、劇中にも、歯科医の1人ペインレスが“男性的不能”を理由に自殺したいとホークアイに相談し、ホークアイとジョンはペインレスのために「お別れパーティー」を開きます。その時にも、仲間がギターの弾き語りで唄う歌です。(実はペインレスは自殺しません…それもなかなかオツな落ちがあるのですが…。)今回は歌詞だけの動画で…。



「朝早く霧の向こうにに僕は見た、 物事のあるべき姿を。
 僕のために準備されている苦痛を。
 こんなことは僕にも分かるし、理解できる。
 自殺は苦しくない。 いろいろ気分転換にもなる。
 それにやるかやらないかは自分次第さ。

 人生はかなり大変なゲームだ。
 どっちにせよ僕に勝ち目はない。
 いつかは負けのカードに賭ける羽目になる。
 だから僕が言うべきことはこれだけだ。
 自殺は苦しくない。 いろいろ気分転換にもなる。
 それにやるかやらないかは自分次第さ。

 時という剣が僕らを突き刺す。
 はじめのうち痛みはないが、 やがて時とともに効いてきて、
 歯を食いしばっても痛みは強くなる。
 自殺は苦しくない。 いろいろ気分転換にもなる。
 それにやるかやらないかは自分次第さ。

 ある時、勇者が僕に尋ねた。
 大切な質問に答えてほしい。 生きるべきか死ぬべきか、と。
 僕は答えた「やれやれ、なぜ僕なんだ?」。
 自殺は苦しくない。 いろいろ気分転換にもなる。
 それにやるかやらないかは僕次第さ。

 君だって、やるかやらないかは自分次第なんだ。」

と、こんな感じの詩です。

この詩は一見自殺を肯定しているように聞こえますが、実は反語的意味を持っていると、私は思います。
こんなに「痛み」に満ちた世界に生きていて、何故「痛みなんてない」と言う自殺を選ばず
「やるかやらないかは自分次第」と唄う事で終わるのか…。
それこそ、ルオーの絵『郊外のキリスト』にも書きましたが、そこに希望があるからです。
逆に「痛み」を分け合い、ハチャメチャに笑い飛ばすことで、共に愛が深くなって行くような温かさを感じさせます。
きっと私達は、自分を信じたいのです。希望や愛を信じたいのです。
この曲では、そのやさしさだけが心に流れ込んで来るように思うのは私だけではないでしょう。
「ばくぜんとした絶望」をゆっくり静かに横にどけて、また歩き出したいと思うでしょう。

疲れた時は少し休みましょう。
ちょっと「笑える」ことに意識を持って行きましょう。
笑いながら泣きましょう。

自殺するのは苦しい事じゃないからこそ、難しい事ではないからこそ、
私達はそんな事には逃げないで、笑い飛ばして前に進もう!
「やるかやらないかは自分次第」だからこそ!

What A Difference A Day Made !

「そもそも人間は愚かである、という前提で物事はやっていかないといけない。自分のことを考えても愚か以外の何者でもない。失敗しても取り返しがつくようにシステムを作っていかないといけない。よくSFなんかでは愚かな国の愚かな大統領が核のボタンを押しちゃって、世界が終わるという話があるが、笑い事ではない、ということがよくわかった。そういうつまらないことで世界はカンタンに終わってしまうのだ、きっと。」
という友人の発言を先日Facebookで読んで、思う事が多くありました。
ちょっと前までの私なら頷いたのでしょうが、どうしても首を縦に振る気になれないのです。
これは、今起こっている原発問題のことを言っているので、ある意味気持ちもよくわかるし、似たような怒りがないわけでもありません。でも、やはり、だからといってここまで言葉にしてしまうのは今だからこそ、考えてみたいと思うのです。

「そもそも人間は愚かである」と本気で考えてしまったら、私は絶望で今すぐこの世からおさらばしてしまうでしょう。……実際、しようとしたことすらあるし…運良く(?)未遂で済んだからこそ、今こうして書いている訳ですが(笑)。
きっと、こうした言葉をつい言ってしまうのは、自分自身をも叱咤激励したい時なのだろうとは思います。それくらいに、今自分が属するこの世の中に腹を立てている…ということなのでしょう。
でも、だからこそ、なおさらに、大人である私達はこれから手渡す事になる次世代の、更にはそのまた次世代の子供たちの為にも、このような言葉を使ったり残したりしたくない…と考えてしまいます。

前回のブログでルオーの「郊外のキリスト」について書いた時にも触れましたが、私達はこの大震災と原発事故によって、自分達の「無力さ」や「醜さ」や「卑怯さ」を思い知ったけれど、それを思い知ることが必要だったからに過ぎません。思い知ることで、初めて次へ進む覚悟ができるからです。思い知ったからといって、その状態に甘んじている必要はないのです。

昨日Twitterでグッドタイミングで、ミヒャエル・エンデの言葉に出会いました。
「ヘルダーリンの有名な言葉があります。それは「危険が増すと、救いもまた増す」というものです。人間が全地球を破壊できるという人類史上はじまって以来の新しいページに足を踏み込むことで、同時に意識の飛躍が起こるのではないでしょうか。__『エンデの文明砂漠』」

まさしく、この「意識の飛躍」の為に思い知ったのだと思いたい。
思い知ったからには、人に変わってもらうことばかりを要求する前に、まず自分自身から変わりたいと、私は思うのです。

卑近過ぎてちょっと話がズレる部分もあるエピソードかもしれませんが実体験談をひとつ。
以前、広告制作会社に勤めていた時、どうにもこうにもソリの会わないコピーライターさんがいました。とにかく、ちょっとした事ですぐ対立してしまう。彼女の評判は上司以外では思わしくないのもあり、私は自分の正当性を信じて疑わず、彼女とは対立するばかりでした。そのいがみ合いに自分でもいささかウンザリしていた時に、運良く別の会社からのお誘いがあり、その会社を辞めることになりました。抱えていた仕事の引き継ぎもあり、1ヶ月はその会社に通う事になったのですが、もうすぐこのコピーライターともおさらばだ!と思うとうれしくて仕方がなく、私の心はその1ヶ月間かなりの上機嫌でした。上機嫌だと寛容になれるようで、この1ヶ月間、彼女がムカツくことをしても、にこやかに流し、間違いをしていても、ソッと修正までしてあげちゃう始末。反論も相手を押さえ込んだり批判的にではなく、やさしく噛み砕いて説明し、相手の言い分を一応聞いてから、改善点を提案する…と、出来る限りぶつからないように仕事をしました。……すると、彼女の態度が変わって来たのです。次第に対抗心むき出しだった態度が消え、少しずつ礼儀正しくなり、会社を辞める時には、彼女個人からまで花束をいただき、ハグまでしちゃった!……その時、つくづく反省しました。「私の態度も悪かったんだ…」と。私の「嫌い波動」が彼女にも伝わっていたのでしょうね。彼女はなにひとつ変わった訳ではなかった。問題の多い人ではありましたが、こちらの態度によっては、仕事自体はキチンとこなしてくれたし、話し合うつもりだって元々あったし、いがみ合うことや嫌味なことを趣味にしていた訳ではなかったのです。(冷静に考えれば当たり前ですよネ。)私が変わりさえすれば、変わる事はこれだけあったのです。
今ある原発システムが彼女の事と同じ訳ではもちろんないけれど、対立ばかりしていては、話し合いの土俵にすら立てないし、増々隠し事を増やすばかりでしょう。向こうだって馬鹿じゃないし、コミュニケーション能力だって持っている。自分を信じるように、ある程度相手も信じていくことこそが、今求められていることなのではないか…と思われて仕方ないのです。ましてや、腹立ちまぎれだとしても、「人間は愚かだ」と言い続けていては、どうなるのだろう……。

人間が愚かだとしたら、今ある構造を変革し、それを我々が監視し続けるシステムを構築し得たとしても、「愚か」である以上、監視する私達自身も信頼し得ない……という恐るべき結果しか待ってはいないことになってしまうでしょう。
そうではない、と信じているからこそ、自分を信じているからこそ、私達は怒るのだし、こうしてFacebookやTwitterなどで語り合っているのだと思います。
だからこそ誰もあっさりこの世から「おさらば」しないのだと思います。

だったら、それを口にしませんか?
まず、私達大人が、希望のある言葉をなるべく口にしませんか?
システムを変えたいのなら、まず自分の生活から、意識から変えていきませんか?
自分が変われるのなら、きっと相手も変われると信じられる。そこから相手と向き合うことが初めて出来るのではないかと思うのですが……。

私の大好きなJAZZの曲に " What A Difference A Day Made " があります。
Dinah Washingtonの歌が有名ですよネ。
(下に動画をはっておいたので、よろしかったら、聴いてみてくださいネ♡)
この曲は、
24時間前にあなたから「君は僕のものだヨ」とささやかれて、
ずっと雨降り続きのブルーだった人生が、全く違う世界になってしまった。
太陽と花がやってきて、
目の前には虹までかかってしまうくらい、世界が変わるなんて……
……そして、こんな風に世界を変えたのは、あなた。
と歌い上げています。

恋愛の時の事だけと思わないで、この「言葉の力」を考えてみませんか?
それこそ、私達の力です。きっと愚かではない力にできるはずです。



病気を遊ぶ (?)


昨日Twitterで知り合いの方が(とはいえTwitterやFacebookでお友達になっていただいた方でお会いしたことはまだないのですが…)2人も風邪をひいてしまった旨の「つぶやき」があり、人ごとながら、気になって仕方がありませんでした。
今頃の風邪はインフルエンザのような重篤になる心配はないけれど、症状として出るものがあざとく、妙に神経に障り、イライラもやもやするものなのを知っているから。
で、いつものように、「何か気晴らしになるネタはないかなぁ…」と考えてみたものの、この神経に障るようなイライラには、なかなか効き目のあるネタは見つかりませんでした……せめてビタミンCの摂取をお勧めするばかり…ゴメンね!

と、いうわけで、今自分が病気療養中の身であることを「そうだった!」と思い知ることとなりました。(慣れてきて生活の一部だったりするので、普段は意外と忘れかけていたりするので(笑)。) 
病人なのに「明るい」とよく褒めていただくことを「ノー天気だと思われている…」とひがまずに、素直にお受けすることにして、それが何故なのか…と、ちょっと考えてみました。

そもそも私は何かを観察することが子どもの頃から大好きでした。
蟻やミミズから芋虫や蝶やヤモリやカマキリ、泳いでいる金魚や鯉、風に揺れる樹、常に同じことのない空…何でも気になると呼ばれる(最後には怒鳴られる)までジーーーっとただアホの子のように見ている子でした。
もともと「病気のデパート」と言われるくらい、体は弱く、扁桃腺がすぐ腫れて高熱を出すし、ひどいアレルギー体質(以前書きましたネ)だし、貧血でいつも朝礼は保健室行きだし、腎臓が弱く腎臓結石持ってるし…と昔からしょっちゅう寝込むのですが、この観察好きが幸いして、病院での待ち時間は病院にいる人WATCHINGで結構楽しみ、寝込んでも、天井に見える模様や布団のシワでさえ、観察と物語創作のネタにして楽しんでいました。(高熱が出たり、激痛の時にはモチロンそうはいきませんが…)

で、これらの病気に上乗せして更にバセドウ病や原因不明の消化機能障害にまでなっている今でも、その性癖に助けられているところはかなりあるようです。

特に、バセドウ病になってからは「せっかくこんな病気になったんだし…!」みたいな意欲が出ちゃって(笑)……と、いうのも、そういう気になった元のエピソードがあるんです。

まだ、自分がバセドウ病だと自覚していない時から、すでに病気のサインは出ていて、よく手が痙攣を起こして困ることが増えてきたのです。
元々不整脈でもあったので、「歳をとると、これだからなー!」くらいにのん気に構えていたのが、バセドウ病がひどくなるまで放っていることになった一因にもなったのですが、まぁ、この時は夢にも別の病気だと思っていませんでした。
仕事で(当時はグラフィックデザインはまだまだアナログ部分が多かったので)プレゼンの為にカッターナイフで細かい切り貼り作業をしていたのですが、手が痙攣し始めて、作業にならない時がありました。明日朝には持って行かなくちゃいけないのに…気はどんどん焦ります。でも、焦れば焦るほど、増々手の痙攣はヒドくなっていくような気さえします。30分ぐらい焦ってなんだかんだと方策を練っていたのですが……急に腹が立って来て「よーし、そんなに痙攣したいのなら、好きに痙攣したらイイ!ずっと観察しててやる!!」と、自分の手に逆切れしたのです。じっと自分の手を睨みつけた時、ピタッと痙攣が止まったので、逆にびっくり!
ま、時間が押していたので、その時はラッキーとばかりに仕事にいそしんだ訳です。
で、翌朝仕事を届けに電車に乗っていた時に、フと思いました。
「焦ったり、逃げようとすると、増々追いかけて来るものなのかもしれない。逃げずに、向きを変えて、向かい合えば、案外だったりすることが発見出来るものなのかも……。」
この時の思いが今でも自分の中にあり、体が痛む時は「本当のところ、何処が痛いのだ……?」と、痛みの隙間から覗くように観察してみるのです。
始めは漠然と身体の胴体全体が痛んでいるように感じていても、胃の部分と背中の肩甲骨の間の場所が核になっていることがわかってきたりします。
そんなことがわかって来ると、痛いのは身体の一部であって、自分自身そのものとは別だ、ということも気がついて来たりします。
重篤の時にこんなのん気なことは言っていられませんが、ある程度のシンドさの時には、逆にこの観察が面白くなってきます。意外とイイ気晴らしになったりもします。
手が痙攣して物がうまく口に運べない時にあの手この手をゲームのように試していて、実家の母に嫌な顔をされたことがあり、心配してくれている家族の前で楽しむのは、相手への思いやりに対して失礼なこととなり、控えるべきことなのも学びましたが、内心悪くない「遊び」だと思っています。

きっと、性格というものも、こういったことを「楽しむ」時には必要な要素でしょうから、誰にでもオススメ出来る物ではないことも重々承知で書いているのですが、こういったことを「楽しむ」人間もいることをお見知り置きいただけたら幸いです。



そこにある温かで赦してくれる存在_ルオー画『郊外のキリスト』


私が8日に書いたブログを9日に連れが読んで
「ものすごく感動したのはわかるけど、いろいろなことを書こうとし過ぎて、何だかよくわからないものになってるよ」と厳しい指摘がありました。
そして、読み返してみると、確かにご指摘通りでした……。
反省しております。
あまりにいろいろな事を思い、それが起きた順番にも感動し、
更には、ちょっと体調が思わしくなかったのに、早くこの想いを残しておかなくては……と、妙に焦って一気に書いてブログにあげてしまった私の軽薄さ……。
焦ったり力んだりは逆効果だとわかっているはずなのに、
妙に興奮していたせいか、浮わつく自分の勢いに負けて、焦りや力みを制してくれるストッパーに羽が生えて飛んで行ってしまっていたことにすら気づきませんでした……。人間、常に「学び」ですネ。

そこで、今回は、7日に観たルオーの絵の中でも、特に私が気に入った『郊外のキリスト』の絵にしぼって、お話ししようと思います。
この絵は、ちょうど8日にNHK教育テレビの『日曜美術館』の「アートシーン」コーナーでこの展覧会のことが紹介され、一番最初に登場した絵でしたので、今なら伝わりやすいかもしれませんネ。
このサイトに行かれると、この絵を観ることが出来ます。

http://www.bridgestone-museum.gr.jp/collection/works/112/


ルオーはいわゆる「場末」の「郊外」の労働者街である、いわば都市の残りかすや矛盾がすべて流れ込んでいるような環境で育ったそうです。
彼がこの絵を描いた1920年代初頭は、少年時代を過ごしたベルヴィル地区やラ・ヴィレット地区(パリ北東部の郊外)は近代化まっさかり。
「もう夜もだいぶ更けたのか、薄明かりが残る空には皎々と満月が輝き始めた。郊外の裏通りを幼子を連れた母親がまだありつけない食事を乞いながら一軒一軒歩き回っていた」とルオーは述懐しています。
その母親はいつの間にかキリストとなってこの絵が出来たのです。
解説では、キリスト教的には「マルタとマリアの家のキリストの譬え」で、ここでその後、キリストは鍋の横を通って、台所にいるマルタの方にやって来る」という話になる手前の絵ということらしいです。
でも、聖書のお話はどこへやら、私の関心事は別の所へ行っていました。

何故、母親はキリストになったのか……。私はそこに深く心を惹かれました。
さびれてはいるけれど、人の営みがまだ残っている暮れつつある街。
長い煙突に近代化の波を感じさせるのに、ひっそりとあまりに静けさに満ちた風景。これがキリストでなければならなかったものがこの絵にはある、と感じました。
それは「例えようもなく大きく温かく総てを包むように赦してくれる存在」です。
母性はとても温かく包容力があり、赦しに満ちたものだけれど、それは我が子に向けられたものです。この絵の中にある存在はそれをはるかに越えた大きな(宇宙的な)存在に感じたのです。それは、ルオーの風景の中に必ず存在する「何か」でした。
私はそれを、まさしく「キリスト」だと感じましたが、それはクリスチャンでもない私が言うのはおこがましいものかもしれません。
で、それはルオーの絵の中にある「例えようもなく大きくて温かで赦してくれる存在」と呼ぶことにしました。(長過ぎて申し訳ありませんが…)
そして、その存在があるからこそ、この風景が愛おしく、安らぎ、心に何か大きく温かなものを落としてくれるような……そんな感動でいっぱいになるのです。

ルオーの描く(育った)風景に実際に生活していた人々は、宗教的(精神的)にも知性的にも経済的にも、自分の力で自分を良くしていく力を持てない、持たない人々です。その、最も小さき貧しき人々の側にこそ、一番近くにこそ、この世ならぬ温かさと赦しをたたえた存在が「いる」ことを、この絵は絵の波動だけで伝えてくれているように感じます。
どんな存在であっても、何が起こっていようが、大きく温かく「赦してくれる」存在があるからこそ、まだ生きていける……と思うのが「光」の一筋との出会いではないでしょうか?
その一筋の「光」に手を合わせ、私達は大震災直後、一途に「祈り」続けたのではないでしょうか?

今回起きた大震災は、私達の今ある姿を否応なくむき出しにしました。
それは、大災害という、自分たちではどうにも抵抗出来ない大きな力に総てを奪われた時に出る「無力さ」や、道徳的に知っていても恐怖が出てしまえばその通りには出来ない「醜さ」や、何かに依存することで安穏としてきたことが崩壊しかかると責任者を探しては責め続ける「卑怯さ」等です。これらを思い知った私達は、まさしくルオーの描いた「郊外」の人々と全く同じです。
でも、この絵を観たら誰でも気づくのではないでしょうか?
そんな無力で醜く卑怯な私達にこそ、例えようもなく大きく温かく総てを赦してくれる存在が、すぐ側にいてくれることを。
この存在を糧に、責め合うのではない再生の(むしろ新生の)道を見い出していけるはずだと思います。

是非、機会があったら、ルオーの絵を観てください。
震災で変わったからこそ、ルオーに追いつけた感動が、そこにはあります。




「道の美しい時もある…悩みの果てぬ古き場末で』(「ミセレーレ」より)







 










『ルオーと風景 パリ、自然、詩情のヴィジョン』展(パナソニック電工 汐留ミュージアム)を観て来ました。これは、ルオーの風景に重点を置いて若い頃から晩年までの作品を集めた展覧会です。震災の為、フランスから来るはずだった(目玉だったはずの)数点の作品は来る事なく始まり、多少残念なものはありましたが、いやいや行って損はありませんでしたよ。

(展覧会サイト ルオーと風景
 
先日『PRAY FOR JAPAN 3.11 世界中が祈りはじめた日』の本をご紹介した時に
「なめんな!」という気持ちでポジティブに行く決意を示した訳ですが、
順番としてまぁ、誰かに引っ張られているかのように、
この展覧会を観て、私は更なる決意と温かく豊かな気持ちで、今は一杯になっています。

期せずして5月5日にはチェンバロ奏者の家喜美子さんのコンサートにも行く事が出来たのも、素晴らしい順番でした。彼女の「パルティータ 第3番 イ単調 BWV827」の圧巻さは、今までにもないくらいで、今まで以上に力強く、落ち着き、それでいて豊かなその音には、震災へのレクイエムと共に地球の新たなる再生を思わせるエネルギーすらも感じられ、元気が出て来始めていました。そして、この展覧会でのルオーの絵との出会いには、なおさらに、思う事が多くありました。

ルオーの絵は昔から好きで、シスターになった親友とも何度か観に行っていました。彼の絵にはクリスチャンではない私にも、心に静謐で温かな何かをもたらしてくれるようで、ちょっとシンドいことがあると、落ち着きたいのもあって、出光美術館には一人でも度々訪れたものでした。
また、去年は同じ汐留ミュージアムで開催された『ユビュおやじの再生』展で、ルオーの意外な一面を観て、逆にワクワクしたものでした。

でも、今回のルオーの絵は、震災後の私自身に変化があったせいでしょう、静かに力強く心を揺さぶるものがありました。

まず、彼の絵が抽象的になっていけば行く程に逆に溢れ出て来る「言葉」にも近い何かがあるのに驚きました。「リアルなものからはそのリアルさ故に見えないものがあるのだよ……」とやさしく語りかけられているような気さえしました。
そうか、彼の考えられないような色彩感覚とこの抽象性があってこそ、逆に宇宙すらも感じさせる「何か」が描けるのだ……!今までどうして気がつかなかったのだろう……と。

もうひとつ、これが一番お伝えしたかったことですが、
ルオーの風景の中には常に「キリスト」が居る!と感じたことです。
クリスチャンでもないのに……とご不満をもたれる方もいらっしゃるでしょうが、
これはクリスチャンでなくても感じる所がスゴいことだと思うのです。
彼の描く風景が何故他の風景と違うのか…何故このような考えられないような色彩感覚でしかも調和のとれた絵になるのか…。それは、この絵の中に「愛」があり「思いやり」があり、「祈り」があるからだと思いました。
彼はいわゆる「場末」の「郊外」の労働者街である、いわば都市の残りかすや矛盾がすべて流れ込んでいるような環境で育ったそうです。その環境がそのままモチーフになっている絵も多く見受けられるのに、悲惨で暗いはずなのに、ぼんやりとした薄いベールのような光で包まれているように感じるのです。始めは、彼のステンドグラス職人としての修業時代の影響もあるだろう色彩感覚や輪郭線の描き方から出る効果かな…と思って観ていたのですが、静かにグングンと迫って来るこの温かさや豊かさに包まれた感動は「希望」と呼ぶしか考えられないものでした。
普通の、いやそれ以下の人々の風景の中に聖書の世界はあるんだと、ルオーが静かに語ってくれているようでした。
ルオーは信仰深き画家としても有名です。信仰の力とは愛と思いやりと祈りの深さなのかもしれません。
で、それをすべてひっくるめた意味で「キリスト」を感じたのです。
(クリスチャンの方には乱暴に思える発言でしょうが、ごめんなさい!)

彼の絵を観ていて、ヴィクトール・エミール・フランクルの著書『それでも人生にイエスと言う』を思い出しました。ルオーの面差しはフランクルとかなり近いものがあるのかもしれません。
「道の美しい時もある……悩みの果てぬ古き場末で」というタイトルの絵がありました。これは「ミセレーレ」という豪華版画集の中の作品です。
「ミセレーレ」は、父親の死をきっかけにして、「人間社会の奥底に巣食う悪、憐れな状況の中での人々の苦悩、さらにはこうしたこうした罪に汚れた世界だからこそ求められる希望を主要なテーマとして扱い、第一次大戦勃発後には戦渦への憤りも加わり、それらの主題を壮大に謳い上げられた作品」(解説より)です。
まさしく、今のことだ、と思いました。
単なるプラス思考や単純な「愛」や「祈り」を歌い上げるのではなく、どんな場末にどんな環境に生きていようが、そこに人が生きている限り、「美しさ」はある。「愛」はある。「希望」はある。
「なめんな!」とネガティブな意識を蹴飛ばすのもいいけれど、力まなくても、すでにそこにはあるのだから、大丈夫!諦めさえしなければ……!
と、自分の中からも呼びかける声が響いているような気がしました。
それは、家喜美子さんのバッハの演奏の響きにも近いものでした。
決して諦めず、ここにある「美しいもの」「愛」「祈り」を信じて力まず無理せず行こう!
先はまだ長いのだから……。
と静かな気持ちで意を決した次第です。

節電の為に夕方5時までになりましたが、7月3日までやっています。
入場料も500円とやさしい値段です。

よろしかったら、是非ご覧になってみてください。

(私は個人的には
 「郊外のキリスト」
 「ミセレーレ」のシリーズ
 「朝の祈りを歌え、陽はまた昇る」(「ミセレーレ」)
 「小さな郊外」(石版画集)
 「秋」「秋の終わり」
 がとても心に残りました。
 皆さんはどれが心に残るのでしょう?)


「なめんな!」


PRAY FOR JAPAN ‐3.11世界中が祈りはじめた日‐



先日予約していた本
『3.11 世界中が祈りはじめた日 PRAY FOR JAPAN』
が手元に届きました。

これは3月11日の東日本大震災のわずか12分後から届き始めた海外・国内からの「祈り」のメッセージやエピソードを集めたWEBサイト
" http://prayforjapan.jp/ "(震災当夜、停電中の一時避難所にいた20歳の大学生が立ち上げた)を1冊の本にまとめたものです(売り上げの印税が義援金として寄付されます)。

どのエピソードもとても素敵で、胸を打ちます。
この本を読み、3月11日の震災のショックが甦るというよりも、
この日から世界の方々と祈り続けた一途な気持ちを思い出し、
もう一度、自分をリセットして、仕切り直さなくてはいけない、と強く思いました。

この本の中でも、特に今の自分の思いと重なる言葉があったので、ここでご紹介したく思います。

自衛隊員の夫へ送ったメール

ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、
「大丈夫?無理しないで」とメールしたら、
「自衛隊なめんなよ。
 今無理しないでいつ無理するんだ?
 言葉に気をつけろ」と返事が。
 彼らはタフだ。
 肉体も、精神も。

  ( P. 40 )

まさしく、この言葉で、今の私の気持ちがパッカーンと蓋を蹴飛ばして出て来たから。
 日本国民をなめんなよ。
 日本をなめんなよ。
 この世界をなめんなよ!」
と、この数日心の中で叫び続けていた気がするからです。

この大震災が起こった時、「何故?」と思わずにはいられなかった。
震災ばかりか、大津波の衝撃、さらには原発事故……。
そして今もなにひとつ解決してはいない……。
でも、起きてしまった。
泣こうが、わめこうが、叫ぼうが、起きてしまう前に戻る事などあり得ない。
ならば、起きてしまった事に眼を背ける事なく、前よりいい世界にするしかない……
と、一介の小市民である私が、心から思ったのでした。

それから2ヶ月近くとなり、
今のこの状況はどうだろう……。
確かに困難な事だらけだし、総てが後手後手に回ってしまっているようにも見えます。
でも、別の人が責任者だったら、とか、もし自分がリーダーだったら、とか考えても、事が大き過ぎて五十歩百歩だったのでは……とも思えます。
それくらい、大変な出来事が実際に起きているのだとしか言いようはありません。
だから、ただ黙って耐えていればイイとも思えない……。そんな悲しみと焦燥感の入り交じった感情の中で祈り続ける自分に気づき、違和感を感じている時に、この本を手にしたのです。

この本の奥から立ち上る一途な祈りと思いやりの深さには、誰もが感動することでしょう。
……そう、そうなんだ……人間にはこれだけの愛が、思いやりが、温かさがあるんだ……と思った時に、自分の中にあるネガティブな感情に向かって言いたくなった言葉が、「なめんな!」なのです。

あれほどの大きな災害です。場合によってはそれに「人災」も加わるのかもしれません。
でも、「生きている」のだから、前に向かって少しずつでも進むしかない。
その時、少しでも出て来るネガティブな意識を「なめんな!」と蹴飛ばして、愛や思いやりや温かさを糧にして、分かち合い、知恵を振り絞り合い、助け合って行こう!と強く思っています。

なめんなよ!
絶対に大丈夫に、いや、それ以上に素晴らしい世界に変えてみせるゼ!!
サンキュー!!


手前味噌ですが……♡



大変お久し振りです。

3月11日午後2時46分を境に、私達は大きな悲しみと試練の中にあり、
まさしく世界がひっくりかえる思いの中で生きることとなりました。

私は大震災前から体調を崩していましたが、
震災は何とか無事でいられました。
でも、その後再び寝込んでしまう中、ネットとテレビの情報に釘付けとなり、
ただひたすら、布団の中から祈り続けるしかありませんでした。

そんな中、連れ合い(浄土真宗大谷派の僧侶です)が、SNSのひとつmixiで、
被災していない友人達に向けてメッセージを送っていました。

手前味噌で申し訳ありませんが、
連れ合いとは云え、なかなかグッとくるものがあり(ノロケ……?まさか!?)
こちらで3話ほど紹介させていただきたく思います。

* * * * * * *


☆現場にいる人達 (2011年03月15日22:45)

しかし、自衛隊員、警官、公務員、公共交通の職員等は今大変だろうな。

ところで、被災地の現場に行くのはもちろん私らより若いのに決まってるけど、
明治時代の警官の話しでこんなのがある。

明治28年に佐賀県唐津市の高串というところでコレラが蔓延した時、
衛生学の知識があったので25歳の増田敬太郎という巡査が配属された。
当時の唐津では、火葬の習慣がなく、
いちいち遺体を消毒してから土葬するという作業を彼が1人で続けていた。
で何日めかに疲労困憊していた彼もコレラに感染してしまい、
病床についた後亡くなったそうだ。
それで、亡くなるちよっと前に
「高串のコレラは私が全部背負っていきますから安心してください。」
といって亡くなったそうで、
どういう偶然かちょうど彼が亡くなった位からコレラが引き始め、
その後、衛生意識が高まったのか
この地域は伝染病の発生がほとんどない地域になったそうで、
彼が火葬された場所(彼は火葬された)の上に祠が立って、
後に神社が建立されたそうだ。
で、地元の子供たちは今でもこの神社を「増田さま」と呼んでいるそうである。

まあ、こんなに劇的でなくても
きっと小型のこういう人たちが今働いているんだろうな、と思うので
直接被災地に関係ないところにいるわれわれは日常生活をきちんと続けて、
買い占めをしたり、つまらぬ風評をまきちらさず、
少し余裕があれば寄付金等をとっておくなどして
冷静にすごしていればいいのだと思う。

あと、人間は祈る動物だと思うので、
人間以上の存在に無事を祈ったり、
こんなことが起こるのは我々の何がまちがっていたのでしょう?
と問いかけるのは普通だと思うので、やればいいと思う。

戦後の教育を受けた我々は、祈る人は特殊な人と思っているが、
こうした状況になってみると、祈らない人の方が不自然な感じすらするのだが、
どうだろう?



☆被災地への祈り (2011年03月17日11:27)

ここのところ、珍しく日記を続けて書いてます。
今週の仕事以外のイベントがことごとく無くなって
時間があるというのもありますが……。

一昨日、祈りのことについて書いたので補足を少し。

祈りは「人間にとって本能のようなもの」と書きましたが
本能のままに祈れる、という人も少ないだろうから実例を挙げます。

日本人の潜在意識には「南無○○仏(あるいは如来・菩薩)」「南無○○経」という形式が染み付いているだろうから、
「○○」の部分に自分にしっくりくる阿弥陀とか観音とか法華とか観音経だとかを入れて、
その「南無」しているものの「光が被災地に届きますように。被災地の人々の生活に平安がありますように。」と祈る。
例えば「南無阿弥陀仏の光が被災地に届きますように。被災地の人々の生活に平     安がありますように」といったかんじです。

もしくは、ほとんど本能的に「神様お願いです。」といったような叫びに続けて「被災地に光が届きますように。被災地の人々に平安がありますように。」と祈るのがよいかと思います。

もしくは、街角でよく目にする「世界人類が平和でありますように。」
これは私が日頃敬愛している故・五井昌久氏が「祈りによる平和運動」のための祈りとされてたもので非常に簡便なみんな知っている言葉なのでこれに続いて「被災地に光が届きますように。被災地の人々に平安がありますように。」と祈るのがいいかと思います。

実例として参考にしてください。

直接何も出来ないところにいて、漠然とした不安や憶測に心のエネルギーを費やしているのは「心の無駄遣い」に思えるので
他者のために祈ってみてはいかがでしょう?
試してみていただけるとありがたいです。

今日は機動隊(自衛隊だったかな?)による原子炉周辺に対しての接近しての放水ということも行われる様なので、「機動隊(自衛隊)の皆さまの天命がまっとうされますように。」と祈るのもよいかも知れません。

キリスト教の「主の祈り」というのもいい祈りです。
ちょっと長いかな?(笑)
このことに関するコメントは、はやとーさんに任せます(笑)。

皆様あれこれ結論から始める前に一度、やってみてください。
お願いします。


注)以下は、上記をお読みくださった「はやとー」氏が、
  「主の祈り」をご紹介くださったものです。


☆はやとー(2011年03月17日 18:19)
UNCHANさん有難うございます。 
リクエスト(笑)にお答えして、「主の祈り」 

天にまします我らの父よ 
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ 
御国(みくに)を来たらせたまえ 
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ 
我らの日用の糧(かて)を今日も与えたまえ 
我らに罪を犯すものを我らがゆるすごとく 
我らの罪をもゆるしたまえ 
我らをこころみに会わせず悪より救い出したまえ 
国と、力と、栄とは限りなく汝のものなればなり 
アーメン 





☆気持ちを転換する言葉 (2011年03月18日12:28)

放っておくと、ネガティヴな考えや言葉というものは心の底にたまっていき 
危険なものです。 
これは「祈り」ということではありませんが、 
「今日1日、こんな否定的なこと考えてもーたなー。」と思った時は 
それと反対の肯定的言葉を 
心の中でか、または口に出して呟いて(…別に叫んでもよい)おく事は大切だと考えます。 

例えば、「あのくそボケやろう。」とさんざん言った(思った)日は 
「赦し。」とか「○○さんへの赦し」と一言つぶやいてみて下さい。 
そして自分の気分を観察してみる。 
1日「もうダメダー」という言葉を心の中で連発してしまった日は、 
「希望」とか「希望はある」と一言呟いてから寝る。 
……等をしてみると何らかの気分の変化があるはずです。 
気分というのはやっかいなもので、 
いつの間にか本人にもコントロール不可能になって 
行動を規定してしまったりするものです。 
ちょっとしたメンテナンスをするのと、しないのでは大違いになるので、 
これもあまり頭で考えず、1度試しにやってみて下さい。 
お願いいたします。

* * * * * * *

以上です。

いま、生きていることに、希望が託されているように感じています。
祈りの中で、自分らしさを忘れず、
被災された方々と共に、
痛みと悲しみを分かち合い、愛と希望を育み合っていきましょう。

「その力になるのが、愛じゃねぇの」





なぜがんばれるのですか。なぜ強くいられるのですか。
問うてみたら、谺は「愛」だと言った。
「いかに一生懸命に生きるか。
 その力になるのが、愛じゃねぇの」
   ___1月28日(金)朝日新聞夕刊『ニッポン 人・脈・記』より




やっと、文章を書ける気力と体力が復活してきました。
数日前の記事ですが、深く感銘し、たくさんの想いを抱えることとなったので、
おつきあいいただけたら、と思います。

この言葉の主、谺(こだま)雄二さんは、
ハンセン病になった人達が「強制隔離は違法だ」と、国を訴えた裁判での
シンボル的存在となられた方です。
一昨年に病気をこじらせて生死の境をさまよい、左腕を切断し、義手をつけ、
全面勝訴から10年を迎える今も「名誉の回復」を求めて頑張っておられます。


この方のことは、おそらく10年以上前にTVのドキュメンタリーで拝見したのが最初だったと思います。
私自身も、その数年前に五里霧中の状況にはまりこんでおり、
いまだ怒りや悲しみや苦しさを向けるべき所も定められないまま、
問題の解決への糸口を探すことをも迫られていた時だったので
谺さんをはじめとして、ハンセン病となったが為だけに不当で心ない差別を受け続けてこられた方々の清々しく明るくさえある姿に、驚き、見入る自分がいました。

恨みがましさが全くといっていいほど感じられず、
包容力と優しさで満ち溢れていたのです。

番組が終わっても、何故この方々はこれほどに「美しい」のだろう……と、
温かな涙が溢れて止まりませんでした。
そっと前を向くように私の姿勢を向き直して下さり、
「大丈夫!!」と勇気をくださったお姿でもありました。
その谺さんの記事に久々に出会ったのです。

記事にはこうあります。
『東京の下町育ち。7歳から隔離され、いまは群馬の施設で暮らす。
 生きている意味をひたすら問い続けてきた。
 「せっかく、ライにかかったんだから、この経験を役立てようと思ってねぇ。
 そこにたどり着くまで、怒り、憎しみ、悲しみ、いろいろあったけど、さ」』

ここに、ドキュメンタリーを観た時に思った問いの答えの糸口を感じました。
谺さんは不条理だと感じたであろう自分の運命から決して逃げず、
すべてを受け止めてこられたのだ……と。
ハンセン病になって、はじめは社会を神様を、病気となった自分自身をも恨み、怒り、嘆き悲しんだことでしょう。
でもその中で、彼が絶望し自ら「ジ・エンド」としなかったのは、
決して自分からは逃げなかった、
心をかきむしりながらも自分と、今と向き合ったからではないのでしょうか。

谺さんとはケタ違いに些少なことではありますが、
実は、私が絶望の中で世の中を恨みがましく見つめてしまっていた冬の時のことです。
事件の事務処理で動き回っている途中で、疲れて鴨川土手でボーっとしていたら、
側を京都のオバちゃんが世間話をしなががら通り過ぎ、
川面では水鳥がのんびりと私の前を泳ぎ過ぎていくのです。
その川面の光がキラキラ眩しくて、周りの音はやさしくて、日差しは温かく……。
フト、「世の中、まんざら捨てたものでもないのカモ……」と思いました。
急に、周りの世界が愛おしく、温かな色付きの世界に変わり、
希望と元気がゆっくりと沸き上がって来るのを感じました。
自分さえその気になれば「愛(その時は希望だったように思う)」はどこにでもあって、きっと大丈夫になれるンだ!と、根拠もなく思ったのが、今でも昨日のことのように思い出されます。

この話からココに飛ぶのは唐突ですが、
きっと谺さんも、何か「出会い」があったのだ!と思ったのです。
谺さんの場合は、さらに壮絶で劇的な状況ですが、
彼はきっとその「出会い」の中で、人の尊厳や美しさに気づかれたのではないでしょうか?
病気による「見かけ」の変貌で、忌み嫌われ、隔離され続けている中で、
「見かけ」にではなく、人には尊厳と美しさがある、と気づいた時、
自分は本来「美しい」ものを持っていたのだ、自分は幸せになっていいのだと確信なさったのではないでしょうか?
だから、あれほどに明るく清々しいのではないのでしょうか?
だからこそ、「名誉の回復」なのではないでしょうか?
国の社会の不当さへの怒りという、薄っぺらなものではなく、
人の尊厳や(真の)美しさを冒涜することがどんなに悲しく寂しいことであるのか、
それを訴えたいのではないでしょうか?
だからこそ、こんなに美しく感じるのでしょう。

記事はさらに続きます。
『国が控訴をあきらめた2001年の5月23日。
 彼は東京・永田町から、その場にはいない男に向かって叫んだ。
 「時ちゃん、やったぞ。国は断念したぞ。
  長生きして、いい絵をたくさん描いてくれ」』

待ち望んでいたものを獲得した瞬間に、まず自分のことより友のことを思いやる姿に、
谺さんの「愛」の深さをしみじみと感じます。
この、「時ちゃん」こと鈴木時治さんのお話も素晴らしいのですが、
長くなるので今回は控えますが、機会があれば是非新聞記事を読んでくださいネ。

谺さんや鈴木時治さんは、壮絶で劇的な人生を送られていますが、
誰の人生でも、意に添わず「何故こんな目に……」としか思えないようなことを突きつけられることはままあることです。
それを、逃げることなく、向き合い、受け止めて、
「せっかくこんな目にあったのだから……」と、捉え直して生きる、
ということの大切さを教えていただけた記事でした。

そして、その原動力は「愛」なのダ!!




♡追記♡

友人から、ちょっとした誤解のある意見をもらったので、
蛇足になるかもしれませんが、追記させていただきたく思います。
(私の力不足です。スミマセン……。)

谺さんのことを取り上げたのは、
劇的で特殊な例ですが、それだけにわかりやすいから、
ついつい取り上げているだけで、
特殊なレベルのことを言いたいワケではないのです。

それぞれの人生には誰でもそれぞれに、
人に言えないことや言ってもどうしようもない(と思える)ことがあるものですよネ。
そんなことを公の基準にさらしても判定がつくものではないでしょうから。
で、そういったことが自分に降り掛かって来た時には
誰かに代わってもらうものでもないので、
自分の人生として受け止めていくしかないのであって、
別に劇的で特殊な人だけが特別なわけじゃない……と言いたいのです。
皆、誰もがそれぞれに特殊な事情を抱えて生きている。
それと如何に向き合い、受け止めるか……そこに出会いがあるのだと思うンです。

その出会いや気づきを素直に受け止めて「愛」の原動力で何にも捕われる事なくそのままに生きる姿は、誰もが美しいはずです。

要は、皆で美しく生きたいねぇーってコト。

私の「出会い」なんゾは、私がそう思っただけで、
思い込み、あるいは妄想かもしれないんだよネ(笑)。
でも、それで良くなったのだから、それで十分なワケです。

谺さんの出会いがどういうものだったかは、個人的なものでしょうが、
その出会いを通して、谺さんが今どう生きていらっしゃるのか。
私達は同じ時の中で、それを見せていただけることで、
大きなギフトをいただいているンだと思う。
そして、私自身も、自分の気づかない所で、
誰かにギフトを贈ることが出来ていたらイイな~~と思うワケです。

☆ちなみに、コメント欄に取り上げた新聞記事を載せておきました。
よろしければ、ご参考になさってください。
(鈴木時治さんの記事もすごいので。)
表示されていない場合は、下↓の「 CM 」と書かれている所をクリックしてネ。

2011年が明けました!


5日前に2011年となりました!
皆様と共に、無事新しい年を迎えることが出来て、大変うれしく思っています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

12月は、さすがに師走と言ったことはありますネ。
主婦としても、バタバタと妙に気ぜわしく、ブログを書く余裕がありませんでした。

まぁ、「ぼちぼちいこか」と、ご挨拶だけでもさせていただくことと致しました。

昔、
「ただ同じように時間が過ぎて新しい年になっただけなのに、何がおめでたいのか……」
といったことを、どなたかがTVでお話になっていたのを観たことがありますが、
私はお正月が大好きです。おめでたいと思います。

新しい年ということに、何らかの希望や光を感じます。
もしかしたら、「感じたい」だけなのかもしれませんが、
それならそれでもイイのです。
「感じたい」という意識はきっと希望や光に向かう私の活力となってくれるから。

節目節目に新しい意識や展望や希望を確認してみることは、とても大切な事に思えます。
少しでも以前の自分よりも良くありたい、進歩したい、と思うのには、
新しい年はとても良い節目です。
もちろん、一刻一刻を「一期一会」と意識して過ごしていけるものなら、
それは素晴らしいことですが、
そこまで完璧を求めるよりも、
「ぼちぼち」いきたい私にとっては、
節目節目で新たなるまっさらな意識に着替えて味わうひとときというものが、
とてもウキウキし、楽しく、明るい心を呼び込んでくれるからです。

ですから、年末のお正月の準備も(大変ですが)楽しいものです。

年賀状にお節料理、大掃除に、お正月の飾り付け、お雑煮の準備……。

年末いつものように準備をし、
年を越し、
「おめでとう」をかけあい、
お酒で乾杯し、お雑煮を食べ、
いつものお客様を迎え、お節料理をつつきながら語り合い……。

年賀状の追加を出しに行くついでに、のんびりと散歩をし……。

4日の実家の母の誕生日(今年で78歳!)を祝う。

いつものようであるけれど、
やはりその年にしかないお正月を今年も過ごす事ができました。

なによりも、その事自体が愛おしく、うれしいことです。

今年のモットーは、
何があっても起こっても、自分を信じ可能性を信じて決して諦めないこと。

皆様とご一緒に良い年にしていきたいものですね。

右手のすることを左手に知らすなかれ

今日というか正確には昨日、上石神井にある上智大学神学部構内にあるロヨラハウスに行って、父路門(フロモン)先生にお会いしてきました。

ロヨラハウスはイエズス会の神父様方の終の住処といえる施設です。
フロモン先生は3年前に入所され、
私はロヨラハウスに伺うのは初めてでした。

神父様達の……とはいえ、「終の住処」というイメージがあるので、
ちょっと心してお訪ねしたのですが、
ドアを開けて入った途端、
フワァ〜〜ッとした静かで温かくしかも明るい心地よい空気に逆にビックリしました。
「お祈り」に満ち溢れた場だからなのでしょうか、
素晴らしく呼吸しやすくて気持ちが良いのです。

応接室に通される途中にも、廊下の両脇の部屋から
介護をうけていらっしゃる神父様や、治療中の神父様、車椅子の神父様が伺えますが、
まさしく「神の御心」にお任せしていらっしゃるからなのでしょうか、
全く暗さを感じないのです。

応接室でフロモン先生をお待ちしている間も、
音楽ひとつ流れていない静かさなのですが、何かが満ち足りている空気の中で、
音楽がなくて静けさだけでも寂しくない空間……というものに、
逆に懐かしささえ感じました。

そしていよいよフロモン先生のご登場!
車椅子生活だと伺っていたのですが、
なんと、両方の手に杖をもって、杖をつきながらご自分の足でしっかり歩いてのご登場でした!
「やぁ、お待たせしてしまいました」と聞き慣れた外国人イントネーションのお声。
歩いてご登場だけでもうれしかったけれど、お顔を見ただけで妙にほ〜〜っとする私。

相変わらず自分で出来ることは自分でやろうとなさるお姿や、
物事をはっきり(ある意味素晴らしく辛辣に)おっしゃるし、
話題は介護や尊厳死のことにまで及びました。
連れ合いにも、仏教のことをお尋ねになるのですが、
彼と話をしていても、全くぶつかることがなく、
興味深く熱心に耳を傾かれていました。
本当に気持ちのいい時間を過ごさせていただきました。
まさしく昨日の青空のように爽やかで清々しく豊かな時間でした。

おいとまをして、ロヨラハウスを後にした帰り道、
ふと、思い出したのが、
昔、友人がフロモン先生のことを
「 "右手のすることを左手に知らすなかれ" (マタイ伝6章)というけれど、
フロモン先生くらいそれを体現なさっている方はいない」
と言っていたことです。

この言葉は、誰かのために何かをするとき、右手ですることを左手にはわからないようにするように、なるべく人に知られないように、相手にも気づかれないようにやることこそが愛である……といったような意味であると私は解釈しています。
今日お会いして、まさしくその通りだ、と深く感じ入りました。
この気持ちの良さや豊かな気持ちは、
まさしくフロモン先生の、この言葉通りのご姿勢があってのことだと感じました。
無私の心……とでも言ったらいいのでしょうか。

まさしく青空のような方。

フロモン先生には到底及びませんし、なるつもりはありませんが、
「右手のすることを左手に知らすなかれ」を心に刻み、
私なりの青空の人をめざそう、と思います。

果たして、どうなることやら……。




フロモン先生









3日前、山猫の招待状(宮沢賢治『どんぐりと山猫』)のようなハガキが届きました。
よく見ると、それはフロモン先生からのハガキでした。

フロモン先生は30年前からのお付き合いの、
大切で尊敬する元フランス人のイエズス会の司祭です。
「父路門フランソワ」という名で日本に帰化された日本人です。
高校からの親友(バリバリのクリスチャンで今シスターになっています)
の先生だったのが父路門神父様です。

幼少の頃から片足がご不自由なのですが、杖をついて歩く事の速い事……。
イエズス会イチの健脚と陰で言われるほどでした。
物は最低限のものしか持たず、
部屋(当時は大学の寮長(?)だったはず)の鍵をしないので有名でした。
いつでも誰でも訪れてもいいように……というのが先生のお心でしたが、
心ない人に何度も泥棒に入られて、皆が鍵をかけるように言っても、
「必要な人のところに(盗まれた物が)行ったのだから、それでいい」
とおっしゃって取り合わない方でした。
見かねて物を差し上げると、
「これは○○さんが好きそうな物なので、
彼が欲しがったら、差し上げてもかまいませんか?」
とおっしゃるほど、人のことしかお考えにならない方なのです。
「謙虚」という言葉が実在する姿として感じたのも、先生がはじめてでした。
ここまで真面目で真摯な上に
ちょっとたどたどしくもどかしそうに日本語をお話になる(日本が長くて、帰化までしているのに)方なので、
側に居るときは「あ〜早く帰りたい……」などと、不謹慎な気持ちを半分抱きながら、
先生のお話をうかがうのですが、
離れていると、
心がフと弱くなったり、寂しくなったりした時に、
先生の笑顔や言葉を思い出して、会いたくなってしまう……という、
なんとも複雑な対応をしてしまう、心貧しき私。

今は引退され、引退された神父様達の終の住処であるロヨラハウスで、
パーキンソン病ながら、80歳を越えても今なお明るく元気(?)でいらっしゃるのです。
会いに伺いたいと言いながら、私も体調にムラがあるので、
先延ばしにしていたら、
こんな私に届いたのがこのハガキでした。

「おはがきどうもありがとうござました。おひまのときどぞいらっしゃい。(おひまのときいつですか……)もう今日で12月、日がみじかい、くリスマスのときごろからまた日がすこしづつ長くなります。イエス・キリストが心のひかりです。神様が心にも体にも多くの恵みを注いで下さいますように祈ります。では、また会いましよう。」
と、ハガキには書かれてありました。

その字がスゴい!!
ご病気で手がうまく動きづらくなっているのが良くわかるのに、
なんて優しく温かく、心がこもっている字なんでしょう!!

この素敵なハガキをみていただきたくて、今これを書いているわけです。

連れ合いは浄土真宗の僧侶なのですが、
連れ合いも「あの方はきっと本当のクリスチャンだね。僕も尊敬できるよ」と言って
彼共々お付き合いは続いています。

そして、
明日ロヨラハウスに伺う事になりました!

もう、お会い出来る……と思っただけで温かな気持ちになります。
フロモン先生のようになる気はありません(到底ムリ〜〜!)
でも、あのすがすがしく優しく温かなものを、
私なりに、コミュニケーションの中で相手の方にお渡し出来るようになりたいものです。

お会いしたご報告はまた後日に。

♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪

写真集 " Skyscapes " と I Z の " Somewhere over the rainbow " と

荒木経惟さんの " Skyscapes " の話ばかりで申し訳ありません。
うれしくて、ヒマが出来ると開いては、深くため息をつきながら見てしまうもので……。

この写真集のことは、
実物を見ていただくしか、お解りいただけないだろうとは解っているのですが……。

あるインディアンの部族では、
空は父なる存在であり、空からすべての幸福が降り注がれて来る……と考えられているそうです。晴れていようが、曇りの日であろうが、雨の日であろうが……。
この話を聞いてから、私は空を見上げることが多くなりました。
見えないけれど、何かが降ってきているような……。
何だかひとりじゃない気がして、ぼんやりとした暖かみすら感じるンです。

それは、この写真集の空にも気配があって、
耳の奥がキーンとなりそうなくらいの深いせつなさがあるというのに、
不思議な暖かみがあって、ふわっとやさしいベールに覆われているのです。

ページの最後に辿り着き、本を閉じた時、
フと、I Z の " Somewhere over the rainbow " を思い出しました。

I Z とは、
イズラエル・カマカヴィヴォオレ(通称IZ)というハワイのミュージシャンです。
(Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole、1959年5月20日 - 1997年6月26日)
340kgを超える巨体から美しい歌声で魅了する、
ハワイを中心に、死後10年以上たった今でも伝説的な人気がある歌手です。
私はこの人とこの曲を、アメリカNBCのテレビドラマ「ER緊急救命室」の中で、
脳腫瘍に冒されたマーク・グリーン医師が、生まれ育ったハワイで命を引き取る際のBGMに使われた時に、はじめて知りました。
(曲自体はご存知の通り、邦題を『虹の彼方に』といい、1939年のミュージカル映画『オズの魔法使い』でジュディ・ガーランドが歌った劇中歌です。作詞作曲は、アメリカ人作曲家ハロルド・アーレンと作詞家E.Y.ハーバーグのコンビ。ジャズでもスタンダードナンバーとなっています。)
その後、ショーン・コネリー主演/製作の
映画「小説家を見つけたら Finding Forrester(2000年)」のエンディングテーマや、
映画「ジョー・ブラックをよろしくmeet the joe black (1998年)」のエンディングでも使われていることも知りました。
私にとっては、 " Somewhere over the rainbow " の数ある演奏の中で、この I Z のアレンジと楽曲がベスト1です。

その歌声はこちらで聴いてみてください。
(これには、 " What a wonderful world " が間に挿入されています)

で、この曲をかけながら、写真集を開いてみると……
全然しっくりこないんです、これがまた(笑)
やっぱり、ハワイの目が覚めるような眩し過ぎる青空とは違う世界があるのかなぁ…と
写真集を閉じて眼を閉じて I Z のCDに耳を傾けながら、
瞼の奥に落とし込まれた、さっきまで見ていた写真集のことを思いました。
すると、これが不思議とファ〜っとひとつになって、
心の底から感動がこみ上げてきたんで、ビックリ。
なんだろう、
 I Z の唄声と歌詞の波動と、私の眼の奥にある写真集の波動がピッタリ合って、
何倍にも膨れ上がってくるような……うまく言えませんが、そんな感動が。

こんなこともあるんですネ。



アートは作家ひとりにしては成らず。














映画『ハーブ&ドロシー』を観てから、
私の中で昔よく思っていた「想い」が甦ってきていたのですが、
昨日SO BOOKSさんでゲットした荒木経惟さんの空の写真集 " Skyscapes " を観ていて
その「想い」が確信に変わりました。

どんなに才能のあるアーティストでも、
その人ひとりだけでは成熟し得ないのがアート(芸術)なんだな……と。

『ハーブ&ドロシー』に登場するアーティストは、
ミニマルアートやコンセプチュアルアートのNY現代美術界の大御所ばかりなのですが、
ヴォーゲル夫妻が買い求め始めた頃は無名だった人がほとんどです。

どんなに自分を信じていても、誰も見向きもしなければ、
心が折れそうになったことは一度や二度ではないでしょう。
そんな時に小額なものでも買ってくれる”誰か”がいたら、
自分の成長を一緒に楽しみ、「イイね」と言ってくれる”誰か”がいたら、
それは自分の為だけのアートではなく、”誰か”の為のアートともなり、
社会性を帯びたものになっていくでしょう。
社会性を帯びるということは、意識が変わることも意味します。
世界の中の自分がアートを創造していく、ということが、
同じ一本の線をひいても、以前とは違う線になっていることでしょう。
この意識の積み重ねが成熟した豊かさや広がりを加えるに違いない!
と思ったのです。

これは、『ハーブ&ドロシー』を観れば、
ヴォーゲル夫妻が楽しむ時アーティスト達もうれしそうに楽しんでいるのでよくわかります。
まるで、プラスのエネルギー同士がぶつかり合って、さらに2倍にも3倍にもエネルギーがはじけながら増殖していくようで、観ているだけでウキウキしてきます。
それは、寄り添い、共有し、お互いに楽しむことで可能になっていくもののようです。
(批評家や評論家とだって、同じように共有し楽しむことができれば、
きっとお互いに高め合う理想的関係が築けるでしょうに……。)

そこに、荒木経惟さんの " Skyscapes " の登場です。
荒木さんは愛する奥様を亡くされた後しばらくは
空しか撮ることが出来なかったそうです。
そこには、深い喪失感と深い深い愛と、深い祈りだけが純粋にあったでしょう。
絶望感と無力感で手を持ち上げる気力すらなくした時、
両手を合わせることだけは出来て、そこではじめて「祈り」と出会うように、
荒木さんは空を撮ることと出会ったのだな……と、
写真集を見ていてしみじみ感じました。
それはヴォーゲル夫妻がもたらす作用とは逆に、
寄り添い共有し、共に楽しむ存在の喪失から生み出されたものですが、
これもやはり、それだけの大切な存在があってこそ生み出されるものでしょう。
ただ空だけを撮っているのにただの空ではないのは、
荒木さんが才能をひとりで磨いてきたからではなかったからでしょう。

これって、私たちのささやかな生活にだって、言えることですよね。

映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』



ハーブ&ドロシー [DVD]


渋谷のシアター・イメージフォーラムでやっている映画
『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』
を観て来ました。
どんな映画かは、以下の動画を観てネ♡♡



とっても素敵でキュートなご夫婦のドキュメンタリーです。

何がスゴいって、
アートを、理屈や銭勘定やステイタスではとらえる事のない姿勢です。
とにかく楽しむのです。
アーティストとの交流も楽しむ。
理屈や意味が解らないくらい何のその、
「美しい」「何だか素敵」「気に入った」のなら、それでイイ。
離散させず、コレクションとしてまとめておくのが大切なこと。
どんなに自分たちの所有するコレクションに価値が高くつこうと、
一点も売却することはせず、今でも1LDKのアパートで質素に暮らしているのです。
(ですから、自分たちが死んだ後のことも考えて、
他所へ売却しないという理由で、ナショナル・ギャラリーに
4000点余りのアート作品を寄贈しています。)

今のアート・シーンについて考えさせられることも提示しているけれど、
それを考えなくても、十分素晴らしく魅力的なアプローチに満ちあふれています。

ここまで、ヴォーゲル夫妻のようにする必要はないけれど、
アート(芸術)というものと、どういうふうに向き合ったらイイのか、を
このハーバート(ハーブ)&ドロシー・ヴォーゲル夫妻は
提言してくれているように感じます。

ひとりひとりが、自分の感性に素直になって、自分を信じてアートに向き合い、
ただひたすら楽しむことができたら、
それこそ、アート(芸術)は、もっと豊かで活力溢れる世界となるような気がします。
小難しい理屈や評論をしたい人は自由にすればイイ——それが楽しいのならネ。
理屈や評論は苦手でも、アートを楽しむ姿勢こそが素敵な人生を創ることを、
このご夫婦は示してくれています。

私はこれを「感性の自立」と感じました。
自分の感性に素直になり、それを信じ、楽しむことを。

映画を観終わって、何とも楽しく、豊かな気持ちにさせてくれる映画です。
アートに関心のある人もない人も、是非観てもらいたい映画です。
人生の楽しみ方の大きなヒントがたくさん詰まっているから。
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