ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

『昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン』

昨夜のカレー、明日のパン [単行本] 木皿 泉 (著)
昨夜のカレー、明日のパン
 木皿 泉(著)

う〜〜〜〜〜むむむ…………………。

どう、伝えたらイイのかわからないけれど、とにかくイイ!!素敵♡♡

どう伝えたら…というのは、「息ってどうやってしてるの?」と子どもに尋ねられて、当たり前すぎて、どうやって教えたらイイのか戸惑うように、戸惑ってしまう……という感じに似ています。


当たり前のような、何気ない日常が、やさしく繊細に、しかも温かく語られる小説。

私の大好きな脚本家の木皿 泉さんの作品ですもの、当然と言えば当然なのですが、いやいや、想像以上の出来ばえです♡♡

何故に「小説」なのか……その答えも、きっと脚本のファンなら読めばわかります。

脚本では出来ないナイーブで温かく豊かな表現がセリフ以外のすべての世界にちりばめられていて、しかも全体を俯瞰して見ることのできる「小説」だからこそ味わえる感動の重なっていく仕組みの巧妙さ。すべてが素敵過ぎます♡♡



何気ないように感じられる日常のきらめきをここで切り取ってご紹介するのは、あまりに無粋に思え、それはなるべく避けますが、タイトル自体が秀逸です。
タイトルの意味は最終章で明らかになりますが(それがまた……T^T)、すべての章を貫いているのが、今ココには居ない(亡くなった)人も含めた過去を抱き続けたまま、明日(未来)があることを信じて日常を生きているそれぞれの登場人物の「いま」が、実はもうココには居ない人と大きくつながって、周りの人とも関わって物語が紡がれている……という、何とも素敵で大きな「気づき」です。
読み進めていくと、「昨夜のカレー」「、」「明日のパン」の「、」が日常を紡いでいる「いま」であることに気づかされていくのです。

章ごとに主人公が変わるのですが、同じささやかな事件や出会いが、それぞれがどう感じ受け取っていたのか…その受け取り方と相手への思い遣りとで、微妙に響き合う音色がふくよかで温かで豊かな音色になっていくのを、読み手だけが感じていくことが出来る、なんとも素敵な世界!!
私の大好きな音楽家の方が「世界は交響曲(シンフォニー)であり、調和なのよ」とおっしゃったのを思い出しました♬
まさしく、読み終わった時、豊かで優しく温かなシンフォニーを聴き終わったかのような、感動とうれしさでいっぱいになります。

それは、ただただ日常を生きているだけのように思えている私たちのちょっとした不安を登場人物と一緒に払拭し、「動くことは生きること。生きることは動くこと」であり、「この世に損も得もありません」とうなずきながら、ただただ前に進むだけなのを、優しく励ましてくれるのです。
生きているって素敵でしょ……ってネ♡♡

『神のおもんばかり』と「足るを知る」

昨日ご紹介した岩崎 航さんの詩に出会い、私は久々に「詩」というものの力に興奮したのですが、
こういう時には、重なる不思議さというものがよく起こります。
何か、私に対しての、何処かからのメッセージなのかもしれませんが……。

実は、ご紹介した岩崎 航さんの詩の中でも、あまりにもプライベートに大切にしたいと思っていた詩はご紹介していませんでした(^^;;
それは、私が個人的に病人であり、この詩は、私個人としても、死ぬまで大切にしたい課題ともなったからです。
 ____

 病 という
 命の一プロセスを
 無いと思いたがる罠から
 抜けられたことは
 良かったと思う
 ____

 本当に
 「治る」とは
 何なのか
 一生を懸けて
 摑み取る
 ____

この詩をあえてご紹介したのは、新たに出会った「詩(メッセージと呼んだほうがイイかも…)」をご紹介するのには、必要だと思ったからです。
それは、先日のブログをアップした翌日に、私はまたまた素晴らしい詩と出会ったからです♡

実は、私は子どもの頃から激しいアレルギー症状と、扁桃腺炎と胃腸の不調(胃下垂と腸閉塞を幼少時に2回発症)、幼少時からの扁桃腺炎でしょっちゅう高熱を出し(当時の医学では抗生物質薬が大流行りだった為、長期間の持続的な大量の服薬で、しまいには薬でも扁桃腺炎を押さえることが出来ず、肥大しきった扁桃腺で窒息しそうになり、手術で扁桃腺を摘出したこともあります。抗生物質薬の摂り過ぎは、今でもいろいろと影響を与えています。)、
大人になってからも腎臓が弱く、腎臓結石でも何度も苦しみました。
そして今は、バセドー病と、今までのアレルギーと更年期障害が相まっての食事制限(卵や乳製品、トリ肉以外の肉、生の魚介類、小豆等が食べられなくなりました(付き合いが悪くて、申し訳ない(≧≦)))での毎日です。
原因不明に体内にガスが溜り、身体中が痛むこともしばしばです。
最近は身体のエネルギーの流れと関係があるのか、ちょっとしたことで、ジンマシンが出ることも多くなりました。

しかも、こどもの頃から生きづらく、普段は成績が悪くないのにテストとなると結果がひどく、両親と兄や先生にも「真面目にやれ!」「精神的に意志が弱過ぎる」と言われつづけてきたのですが、
20年ほど前から、どうやら自分自身が学習障害 LD( Learning Disabilities)であること、軽度のアスペルガー症候群に入っていたこと(幼稚園で先生に「自閉症」と判断され、母が怒って幼稚園をやめさせた経緯もありますが、先生の判断もあながち間違っていた訳ではなかったようですw)に気がついたのです。
オヤオヤ、不幸の押し売り状態のようになってきましたが(笑)、そんなつまらないことの為にお話しているわけではありませんので、しばし、我慢して読んでくださいネ(^^)

私にとっては、人間性で問題視されるよりも、障害だったのだ…とわかったほうが、自分への可能性を信じられたので、うれしかったのです。
でも、自慢出来ることではないので、あまり人に言うことはできませんでした。
自分自身としては、こうした障害や病弱であったせいで、自分なりに工夫と努力をしてきて、そのおかげでたくさんの素敵な方々や本や映画や音楽やアートや祈りとの出会いもあり、「今の自分」があるので、まんざら悪いことでもなかったのではないか…と思い始めていた時に、立て続けに出会ったのが岩崎 航さんと、この詩でした。

私は、この2つの出会いから、大きな勇気をいただきました☆☆
絶対に、私なりに治り、私なりの健康を取り戻せる!!と確信出来たのです☆☆

やれやれ、前置きが長くなりました……
それが、これからご紹介する詩です♡
作者不詳で、ニューヨーク市立大学リハビリテーションルームの壁に刻印された詩だそうです。
原題は「A Creed For Those Who Have Suffered」で、
直訳すると、「苦難にある者たちの信条」となったり『悩める人々への銘』と訳されることのほうが多いようですが、詩の内容からおもんばかっても、このタイトルがピッタリときます。
(これは神渡良平さんという方の意訳です http://warafuto.com/wrafuto16.html
_______

 神の慮り(おもんばかり)

 大きなことを成し遂げるために
 力を与えてほしいと
 神に求めたのに
 謙虚さを学ぶようにと
 弱さを授かった

 より偉大なことができるようにと
 健康を求めたのに
 より良きことができるようにと
 病弱な体を与えられた

 幸せになろうとして
 富を求めたのに
 賢明であるようにと
 貧困を授かった

 世の人々の称賛を得ようとして
 権力を求めたのに
 得意にならないようにと
 失敗を授かった

 求めたものは一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられていた
 言葉に表されていない祈りが叶えられていたのだ

 ああ、私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かで祝福されていたのだ
 __________

Facebookで紹介した時、友達の石黒 丈さんが、ご自分でもシェアしてくださった時に、こうコメントしてくれました♡

「「何故自分はもっと強くなれないんだろう?こんなにも弱いんだろう?」
  そう嘆いてばかりいた・・・そこで苦しんでいた。
  でも本当は
 「弱いからこそ成し遂げることの強さと勇気を知る事ができる」
  この詩を読んで、そう感じました。」

そうなんです!
自分が欠点だと、落ち度だと思っていたことが実は「希望」であり、
どんな人間でも、その状況や能力に、人と比較するのではなく、自分自身にとって何故こういう状況や能力に置かれているのか、神様はどんな宿題を自分に出しているのか…それを考えさえすればいいんだ、と思えます。

「足るを知る」という言葉がありますが、私の中では、この言葉とこの詩や岩崎 航さんの詩(岩崎さんの詩はアクティブな「足るを知る」かもw)は、同じ意味合いに感じています。
「足るを知る」というのは、単に今在るすべてのことに感謝し、甘んじることではなく、今在る状況はすべてが必要で起こっていることであり、それを大切に自分なりに最善をつくしていれば充分なのだ…一見自分にとって良くないと思われることもすべてひっくるめて、祝福され、希望に満ちたものである、ということを知ることなのだ…ということのように思えるのです。

最後に、再び、岩崎 航さんの詩で締めくくることにします。
 ___

 自分の力で
 見いだした
 ことのみが
 本当の暗闇の
 灯火(ともしび)となる
 ___
 
 本当の自分の
 大きさで歩もう
 一足飛びに
 往かなくても
 きっと 着ける
 ___

 ここにいる そこにもいる
 目の前にいる普通の人こそ
 知られざる
 勇者であること
 私は生きて知りました
 ___

おつき合いいただいて、ありがとうございます。
みんなで、どんな時も、幸せでいましょうネ!!


______________________

※ご参考までに『神の慮り』の原詩も掲載しておきます。

「A Creed For Those Who Have Suffered」

I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health,that I might do greater things
I was given infirmity,that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for-but everything
I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed !




岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』


点滴ポール 生き抜くという旗印
 岩崎 航(著)、齋藤 陽道(写真)

 ___

 嗚呼 僕も
 生きているんだ
 青空の
 真っただ中に
 融け込んでいる
 ___

吉祥寺のジュンク堂書店で、
ただボンヤリと、ウロウロと、あちこちのコーナーを物色していて、
フと「詩」のコーナーで、不思議なタイトルに気をひかれて手に取り、
本の帯にうん!?と思い、
表紙を開くと、扉にあった五行詩が上記の詩です。

もう1枚、ページをめくると、青空と作者の写真。
(これもスゴい写真です。……しかも静かで気が遠くなりそうなほど、なんとも素敵☆……本を見てネ(^_-)-☆)

そして次のページの「生き抜くという旗印」で、ノックアウトされ、購入するしかなかった本が、ご紹介しているこの本です。(こうした出会いがあるから、リアル本屋さんはとても大切♡)

岩崎航(わたる)詩集 『点滴ポール ~生き抜くという旗印』(ナナロク社)

何度も何度も噛みしめながら読み進まざるをえないくらいの強力な言葉の力に、
たいして厚くもない本なのに、結構時間がかかって、やっと読了☆☆

イヤーーー、すンごい本に出会ってしまいました!!
(もしかしたら、私が知らなかっただけで有名?)

著者の岩崎航さんは、仙台市在住の37歳。
3歳で進行性の筋ジストロフィーを発症。
現在は常に人工呼吸器を使い、
胃ろう(口から食事がとれないため胃に管を通してお腹に開けた穴)から経管栄養で食事し、
生活のすべてに介助が必要な体で
ベッド上で人生を過ごす日々。
10代で自殺願望に覆われ、
身体の苦しみに苛まされた20代を越え、
30代に、2011年には仙台の実家で被災し、
そして今は、漆黒の闇を抜け、とても強い一筋の光を掴んだかのような、ユーモアさえ交える程の詩を生み出しています。

「生き抜くという旗印」の後半を引用すれば
 (まず最初に私がノックアウトされた部分)
 ___

 あれからさらに二十年の歳月が経ち、僕は今、三十七歳になった。
 病状は、一層進んだ。
 あまりにも多くのことを失った。
 思うことはたくさんある。
 僕は立って歩きたい。
 風を切って走りたい。
 箸で、自分で口からご飯を食べたい。
 呼吸器なしで、思いきり心地よく息を吸いたい。

 でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。
 大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。
 でも「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。
 絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている。

 授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
 そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けていく。
 生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだと、そう信じている。
 闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。

 生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。
 僕は、僕のこの旗をなびかせていく。
 ___

ということ。
これは自らのすべてを受け入れ、さらにそこから飛翔した人生讃歌に他なりません。

言葉のひとつひとつが、彼自身とこの世界をつなぐつなぎ目にでもなっているかのように、
新鮮でかつ挑むような、それでいて愛に溢れた彼独自の言葉のセレクトは、
私にとって、久し振りに出会った「新たなる詩人」の出現とでも言えるような驚きとよろこびです☆
「こんな詩人が現代にあらわれるとは……」と、ある意味打ちのめされるような感動で、すぐには文章にも起こせませんでした。

私は、この頃、ダイアログという対話の場に参加する機会が何度かあり、言葉の力と、言葉のやりとりの場の力、というものにスゴイ力と創造性を感じています。
ダイアログというのは、単なる「対話」というよりも、ヒューマンバリューの定義をかりれば「参加者が自分の立場や見解に固執することなく、そのときどきのテーマを共に探求するプロセス」ということになるようです。自らの仮説や思い込みを保留して、出来事や意味をオープンに語り合い、さらに深い探求の結果、新しい行動や知識、意味が生み出されることを大切にした話し合いのあり方は、これから、様々な場で大きな力となっていくように感じます。

そんな時だからこそ、これほどの言葉を発信する岩崎 航さんの登場は、かなり大きな意味を持つように感じます。

とにかく、どの言葉にもノックアウト級の力がある言葉たちなので、
是非とも、読んでみてください☆

その中でも、今現在の私をノックアウトさせた五行詩を少しだけご紹介します。
 ___

 弾力を失った
 闇の中の魂に
 生きゆく力を
 蘇生させるには
 自ら光となるのみだ
 ___

 本当に
 心の底から
 願っていることに
 向き合えば
 いのち 輝く
 ___

 身に受けた「傷口」から
 栄養が取り入れられ
 いのちの限り生きていく
 それがなんで
 絶望でなどあるものか
 ___

 どんな
 微細な光をも
 捉える
 眼(まなこ)を養うための
 くらやみ
 ___

この本の最後にある『3.11 東日本大震災に寄せて』も、まさに圧巻です☆
彼自身が仙台の実家で被災し、家にいたご両親とヘルパーさんに必死にかばってもらい、その後呼吸器の電源を求めて病院、お姉さん夫婦の家へと転々としながら、この地震がもたらした想像を絶する惨禍を知り、「暗黒のかぎ爪」で心を摑まれ、震災後1ヶ月は詩を詠むことが出来なかったそうです。
その1ヶ月後に書かれた「打ちのめされて言葉を失っていることのありのままの姿」から始まり、「この震災に対する現在の僕の詩人としての応答」へとまとめられた詩です。そこには、希望と勇気と愛が込められています♡
(本で読んでくださいネ(^_-)-☆)

最後に、後書きにあった、素敵な言葉をご紹介して、終わりにします。
 ____

 幸せというものは何も日が照っていて、望みを叶えられて、順風のときだけに感じられるというものではありません。地の底でもがき苦しんでいたときに出会えた光に、震えるほどの幸せと、生きようととする力が内発してくるときがある。不思議なことだと思います。
 ____

本屋さんで見かけたら、是非手に取ってみてくださいネ。



「ありがとう」しかない♡

日付が変わりましたので、昨日になりますが、
28日の私の誕生日を、いろいろな形でお祝いいただきました♬
ここに、そのすべての皆さんに、
そして、直接のお祝いはいただかなかったけれど(ご存知なくて当たり前(^^ ))温かい繋がりを感じたすべての皆さまに、
心からの感謝を申し上げます。
ありがとうございます!!

イヤー、ついにゴーゴーイケイケオバンとなりました(笑)!
子どもがいないので、子どもの成長と共に成長することが叶わず、いつまでたっても変われずにいるために気持ちが若いままのせいか、体験と年輪を感じさせる重厚さが全くないので、その年齢でそれでイイのか!…とお叱りを受けても、仕方のないほどの私であることは、重々承知していますm(_ _"m)
でも、なんだか、このままでイイんだなー……と実感してしまった誕生日ともなりました(^^;)))/

考えてみれば、楽天のリーグ優勝が前日にあり、
28日の朝には『あまちゃん』の最終回があり、
東北の皆さんに少しでも元気になっていただきたいと、日々思っていた私にとって、
一緒によろこび、涙を流し、元気を取り戻すきっかけをたくさんいただけて、
既にギフトが始まっていたのでした♡

いつもは、お祝いのお食事会兼「生んでくれてありがとう」会を、実家の両親と連れ合いとでするのですが、
今回は父が軽い肺炎に見舞われ(無事にかなり良くなりました)急遽延期となった為、
とても静かに過ごす誕生日ともなりました。

モチロン、卵と乳製品を使わないカナムさんのケーキを特注でお願いし、それをいただいたことは、いつも通りです(^-^*)☆!!

ですから、昨日はちょっと自分に面白い趣向を課して見たのです♬
それは、頭に浮かんだこと、思い出したことや人、目に入った「うれしい」「素敵」と感じたことや人に、ひとつひとつ感謝してみよう…ということ♡
連れと井の頭公園を散歩し、吉祥寺の街をブラブラし、連れとも話しながら、
密かにひとつひとつに感謝しまくっていると、ものスゴーくイイ気持ち♡♡
今、自分がココに在ることも、すべてが、こうして感謝させていただいているすべてのおかげなんだなー…としみじみし、ゆるゆると温かな光で包まれていくような感覚がしてきます。
こんなにオバハンになるまで、これほどに「ココに生きていてイイんだ!!」と静かだけれど強く思えたことはなかったかもしれません(笑)
なんせ、ジェットコースターのような人生で、子どもの頃から、いろいろ複雑だったので……(^^)

これは、これを読んで下さっている皆さまが下さった、大きな大きなギフトです♡

誕生日を迎えると、いつも自分ひとりで生きてこれたのではないことを実感し、感謝でいっぱいになりますが、
facebookを始めてからは、自分と繋がりがないと思っていた方々にも、空間や時空を超えて繋がり支えていただいていることを実感するようになり、
本当にうれしく、感謝でいっぱいになります。
それが、今回ほど、腑に落ちるような体験で感じたことはありませんでした。

きっと、またチョットだけ生まれ変われちゃったな(^^ )ノ♪

皆さんにいただいた大きな大きなギフトを、次の方にお贈りすることが出来るように、自分自身も精進してまいります!!

ご報告と共に、皆さんへの心からの感謝を込めて……
ありがとうございます!!!



見えないものの大きな力

去年「ふんばろう東日本支援プロジェクト」という東北大震災の支援団体に参加していることを書きました。
そして、今もぼちぼちと参加させていただいています。
特に私は「心のケア」に関する部署にはあちこちと参加しています。
最近、その関連で、同じボランティアメンバーと直接語り合う機会を何度か得ることがあり、ボランティアというものについて、改めて考え、決意を固めたことがあります。

実を言うと、私はもともと、こうした支援にどうしても参加したい…という理由があるのです。
それは、ある意味、世間(世界)への恩返し…といった気持ちに近いものです。

20年近い前に、私たち夫婦は犯罪被害者の遺族となる、悲しく辛い事件と遭遇しました。…しかも更なる苦悩は同じ事件で犯罪加害者の家族でもあるという立場にも立っていたという事実です。……更には、その家族の一員でもある加害者の面倒を「家族」だからという理由で看なくてはならなかったのです。
実際にはその直接の立場に立ったのは私の連れ合いでした。あまりのことに、彼は壊れてしまうのではないか…と思わない日はありませんでした。でも、私にも現実は厳しく、やらなくてはならない社会的手続きや仕事、そして日々の「生活」に追われる毎日……。
その頃の私も、知人に言わせると、「壊れかかっていた」というくらい、立って生きているのが不思議なくらい痛々しかったそうで、本当に周囲の方々にはご心配をおかけしていたようです。
まぁ、私のことはさておき、連れ合いの状況はかなり深刻でした。それを見ていることしか出来ない自分自身に、無力感と絶望感を感じずにはいられない毎日……。
ある時、犯罪被害者の精神状態にも詳しい大学病院の精神科の教授を紹介していただく機会があり、連れ合いのことを相談に伺ったことがあります。
その先生は、深くいたわるような目で私を包むようジーっと見つめながら、
「あなたのご主人のことは、誰もどうすることも出来ないンだよ。
私が言うのは、申し訳ない限りなんだが、「時間」と彼自身でしか癒せないものなんだ。でも、必ず大丈夫にはなる。最短でも5年はかかるんだ。あなたは、彼の為に5年間じっと見守り続けてあげるしかないんだよ。あなたにその覚悟はありますか?」とおっしゃったのです。
泣きながら大きく頷いたあの時から、今の私はあるのです。

そして、その先生の言葉は本当でした。
(もちろん、その間に私は心のケアに関する本を読みあさり、連れ合いもカウンセリングやセラピー療法を受けたりもしましたが。)
それでも、今もこうして私たち夫婦が笑って生きていられるのは、周りの皆さんのたくさんの見えない大きな力の支えがあったからです。

この体験があるので、私は、震災の支援にあたっても「5年間は何らかの形で諦めずに関わり続けよう」と決めています。

それには、もうひとつ、今の私の原動力の元となっている、忘れられないエピソードがあるのです。
人知れず最もめげていた時に、ある友人が見えない力で私を救ってくれたお話です。
その友人はとてもとても優しくて、ナイーブ過ぎるくらいの人でしたので、その頃の私の状況を知らせていませんでした。彼女が「たまには会いましょうヨ」と連絡してきた時、「いつかは言わなくてはいけない…友達なんだから…」と覚悟を決めて会いました。
彼女は直ぐに私の異変に気づき、じっと私の話を聞いてくれました。
あらかたの事情が話し終わった時、彼女は私の手をギュッと握りしめながら、ハラハラと泣き出しました。
戸惑う私に、彼女は手を握りしめ続けながら、こう言いました。
「私が泣いちゃってごめんなさい…。私には、きっとあなたのことはわかりたくてもわかることが出来ないと思うの……。私は何もしてあげられない……。何の力にもなれない……。こうして泣く事しか出来ないけれど…でもね、いつもそばにいるから……。ごめんね……こんなでごめんね……。」
この言葉を聞いた途端、私もハラハラと涙を流していました。
……でも、それは暖かく私を包んでくれる涙でした。その頃は誰の前でも泣かずに動き回っていた私が、やっと人前で流すことのできた温かな涙でした。
この時初めて、私は「救い」を感じました。それまでにも、たくさんの励ましの言葉をいただいていたのに、彼女のこの言葉に、一番救いを感じました。

それは、彼女の中から溢れて来る目には見えない大きな力でした。
自分は無力で何もしてあげられない…という素直な事実を認めた先にある大きな「まごころ」と呼んだらいいのでしょうか…すべてを投げ出して共に泣いてくれたその気持ちの中に満ち溢れていた深い愛に、私は何にも代え難い大きな力を感じたのです。
目に見える形で助けてくれることが出来ないからといって、それだからといって助けにならない訳ではないことを、彼女は教えてくれたのです。
そうだ、こうした素直な心こそが大切なんだ…私も連れ合いに対して、まごころで素直に向き合いさえし続ければいいんだ…と彼女を通して、決意と覚悟を決めることも出来たのです。

ボランティアをしよう、困っている方々の支援をしよう、とする時、私たちはどうしても「こうあるべき」という理想を描きがちです。でも、十人十色というように、ひとりひとり出来ることは違うのです。そして、違うからこそ、裾野の広いサポートだって可能になるのです。違わないと困るのです。
もちろん、技術的ノウハウだって必要です。それはサポートする側の大きな自信となりますし、無駄のないサポートが出来ることでしょう。
でも、きっと基本は泣いてくれた友人のような、寄り添うような思いやりと相手のことを思い遣るのに必要な想像力なのだと思います。比較したり、目に見える途中経過では判断出来ない、見えないところに、大きな力があるのです。
「出来ない」「無力だ」と認め、謙虚になる時、はじめて見えて来るものがあるような気がします。
「出来ない」「無力だ」と認め、諦めずに謙虚になり、そこから「少しでも何か力になりたい」と思う時、自分では気づかなくても、大きな力が動き始めているのだと、私は感じています。

きっと、理想ではなく、愛が働く場所として、自分の居るその場所でまごころを尽くせばいいのでしょう。「出来ないこと」を素直に認め、無理をせず(無理をしない勇気を持って)、自分にも極力ストレスを与えない形で(要は気持ち良く、楽しく)働くことが大切なのでしょう。

いつも出す言葉ですが、
「天命を信じて人事を尽くす」そのものだ、ということに、
こう書いて来て、しみじみ思い知りました……☆☆

そして、もうひとつ、大切な事。
それは
「右手のすることを左手に知らすなかれ」 (聖書マタイ伝6章)
ということ。
以前フロモン神父様のお話(『右手のすることを左手に知らすなかれ』)で書いた通り
この言葉は、誰かのために何かをするとき、右手ですることを左手にはわからないようにするように、なるべく人に知られないように、相手にも気づかれないようにやることこそが愛である……といったような意味であると私は解釈しています。
これを実践出来るような、私なりの「青空の人」をめざします。

長くなって申し訳ありませんが、最後に、
最近読んだ「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんの『奇跡を起こす 見えないものを見る力 (扶桑社文庫)』のプロローグにあった言葉をご紹介したいと思います。
「目に見えない大切なこと」というコンセプトで語られている木村さんのこの文章には、私がすべてのもの(社会や世界といった)と繋がりながら、ここまでこうして生きて来ることが出来たことの大きな理由が示唆されているように感じました。
 
 「リンゴが実をつけてくれるようになったのは、「本当に大切なことは目に見えない」と気づいたときです。
  それまでの私は、普段、目に見えている部分ばかりに気を取られ、「本当に大切なところ」をまったく見ていませんでした。そして、自分の力でリンゴを実らせるのだと勘違いしていました。しかし、それは大きな間違いでした。
  人間にできることは、ほんの少し、自然の大きなつながりのなかで、たくさんの命が助け合った結果、リンゴが実るのです。「目に見えないもの」の大切さに気づいたとき、私はようやくそのことを理解することができました。」

「自分が」という想いを捨て、「目に見えないもの」を大切に謙虚に向き合うことが出来た時、きっと、私がやりたかった事が気づかぬうちに出来ているのだと信じて、これから4年間、私なりの「青空の人」をめざします。


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