ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

『神のおもんばかり』と「足るを知る」

昨日ご紹介した岩崎 航さんの詩に出会い、私は久々に「詩」というものの力に興奮したのですが、
こういう時には、重なる不思議さというものがよく起こります。
何か、私に対しての、何処かからのメッセージなのかもしれませんが……。

実は、ご紹介した岩崎 航さんの詩の中でも、あまりにもプライベートに大切にしたいと思っていた詩はご紹介していませんでした(^^;;
それは、私が個人的に病人であり、この詩は、私個人としても、死ぬまで大切にしたい課題ともなったからです。
 ____

 病 という
 命の一プロセスを
 無いと思いたがる罠から
 抜けられたことは
 良かったと思う
 ____

 本当に
 「治る」とは
 何なのか
 一生を懸けて
 摑み取る
 ____

この詩をあえてご紹介したのは、新たに出会った「詩(メッセージと呼んだほうがイイかも…)」をご紹介するのには、必要だと思ったからです。
それは、先日のブログをアップした翌日に、私はまたまた素晴らしい詩と出会ったからです♡

実は、私は子どもの頃から激しいアレルギー症状と、扁桃腺炎と胃腸の不調(胃下垂と腸閉塞を幼少時に2回発症)、幼少時からの扁桃腺炎でしょっちゅう高熱を出し(当時の医学では抗生物質薬が大流行りだった為、長期間の持続的な大量の服薬で、しまいには薬でも扁桃腺炎を押さえることが出来ず、肥大しきった扁桃腺で窒息しそうになり、手術で扁桃腺を摘出したこともあります。抗生物質薬の摂り過ぎは、今でもいろいろと影響を与えています。)、
大人になってからも腎臓が弱く、腎臓結石でも何度も苦しみました。
そして今は、バセドー病と、今までのアレルギーと更年期障害が相まっての食事制限(卵や乳製品、トリ肉以外の肉、生の魚介類、小豆等が食べられなくなりました(付き合いが悪くて、申し訳ない(≧≦)))での毎日です。
原因不明に体内にガスが溜り、身体中が痛むこともしばしばです。
最近は身体のエネルギーの流れと関係があるのか、ちょっとしたことで、ジンマシンが出ることも多くなりました。

しかも、こどもの頃から生きづらく、普段は成績が悪くないのにテストとなると結果がひどく、両親と兄や先生にも「真面目にやれ!」「精神的に意志が弱過ぎる」と言われつづけてきたのですが、
20年ほど前から、どうやら自分自身が学習障害 LD( Learning Disabilities)であること、軽度のアスペルガー症候群に入っていたこと(幼稚園で先生に「自閉症」と判断され、母が怒って幼稚園をやめさせた経緯もありますが、先生の判断もあながち間違っていた訳ではなかったようですw)に気がついたのです。
オヤオヤ、不幸の押し売り状態のようになってきましたが(笑)、そんなつまらないことの為にお話しているわけではありませんので、しばし、我慢して読んでくださいネ(^^)

私にとっては、人間性で問題視されるよりも、障害だったのだ…とわかったほうが、自分への可能性を信じられたので、うれしかったのです。
でも、自慢出来ることではないので、あまり人に言うことはできませんでした。
自分自身としては、こうした障害や病弱であったせいで、自分なりに工夫と努力をしてきて、そのおかげでたくさんの素敵な方々や本や映画や音楽やアートや祈りとの出会いもあり、「今の自分」があるので、まんざら悪いことでもなかったのではないか…と思い始めていた時に、立て続けに出会ったのが岩崎 航さんと、この詩でした。

私は、この2つの出会いから、大きな勇気をいただきました☆☆
絶対に、私なりに治り、私なりの健康を取り戻せる!!と確信出来たのです☆☆

やれやれ、前置きが長くなりました……
それが、これからご紹介する詩です♡
作者不詳で、ニューヨーク市立大学リハビリテーションルームの壁に刻印された詩だそうです。
原題は「A Creed For Those Who Have Suffered」で、
直訳すると、「苦難にある者たちの信条」となったり『悩める人々への銘』と訳されることのほうが多いようですが、詩の内容からおもんばかっても、このタイトルがピッタリときます。
(これは神渡良平さんという方の意訳です http://warafuto.com/wrafuto16.html
_______

 神の慮り(おもんばかり)

 大きなことを成し遂げるために
 力を与えてほしいと
 神に求めたのに
 謙虚さを学ぶようにと
 弱さを授かった

 より偉大なことができるようにと
 健康を求めたのに
 より良きことができるようにと
 病弱な体を与えられた

 幸せになろうとして
 富を求めたのに
 賢明であるようにと
 貧困を授かった

 世の人々の称賛を得ようとして
 権力を求めたのに
 得意にならないようにと
 失敗を授かった

 求めたものは一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられていた
 言葉に表されていない祈りが叶えられていたのだ

 ああ、私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かで祝福されていたのだ
 __________

Facebookで紹介した時、友達の石黒 丈さんが、ご自分でもシェアしてくださった時に、こうコメントしてくれました♡

「「何故自分はもっと強くなれないんだろう?こんなにも弱いんだろう?」
  そう嘆いてばかりいた・・・そこで苦しんでいた。
  でも本当は
 「弱いからこそ成し遂げることの強さと勇気を知る事ができる」
  この詩を読んで、そう感じました。」

そうなんです!
自分が欠点だと、落ち度だと思っていたことが実は「希望」であり、
どんな人間でも、その状況や能力に、人と比較するのではなく、自分自身にとって何故こういう状況や能力に置かれているのか、神様はどんな宿題を自分に出しているのか…それを考えさえすればいいんだ、と思えます。

「足るを知る」という言葉がありますが、私の中では、この言葉とこの詩や岩崎 航さんの詩(岩崎さんの詩はアクティブな「足るを知る」かもw)は、同じ意味合いに感じています。
「足るを知る」というのは、単に今在るすべてのことに感謝し、甘んじることではなく、今在る状況はすべてが必要で起こっていることであり、それを大切に自分なりに最善をつくしていれば充分なのだ…一見自分にとって良くないと思われることもすべてひっくるめて、祝福され、希望に満ちたものである、ということを知ることなのだ…ということのように思えるのです。

最後に、再び、岩崎 航さんの詩で締めくくることにします。
 ___

 自分の力で
 見いだした
 ことのみが
 本当の暗闇の
 灯火(ともしび)となる
 ___
 
 本当の自分の
 大きさで歩もう
 一足飛びに
 往かなくても
 きっと 着ける
 ___

 ここにいる そこにもいる
 目の前にいる普通の人こそ
 知られざる
 勇者であること
 私は生きて知りました
 ___

おつき合いいただいて、ありがとうございます。
みんなで、どんな時も、幸せでいましょうネ!!


______________________

※ご参考までに『神の慮り』の原詩も掲載しておきます。

「A Creed For Those Who Have Suffered」

I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health,that I might do greater things
I was given infirmity,that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for-but everything
I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed !




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