ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

見えないものの大きな力

去年「ふんばろう東日本支援プロジェクト」という東北大震災の支援団体に参加していることを書きました。
そして、今もぼちぼちと参加させていただいています。
特に私は「心のケア」に関する部署にはあちこちと参加しています。
最近、その関連で、同じボランティアメンバーと直接語り合う機会を何度か得ることがあり、ボランティアというものについて、改めて考え、決意を固めたことがあります。

実を言うと、私はもともと、こうした支援にどうしても参加したい…という理由があるのです。
それは、ある意味、世間(世界)への恩返し…といった気持ちに近いものです。

20年近い前に、私たち夫婦は犯罪被害者の遺族となる、悲しく辛い事件と遭遇しました。…しかも更なる苦悩は同じ事件で犯罪加害者の家族でもあるという立場にも立っていたという事実です。……更には、その家族の一員でもある加害者の面倒を「家族」だからという理由で看なくてはならなかったのです。
実際にはその直接の立場に立ったのは私の連れ合いでした。あまりのことに、彼は壊れてしまうのではないか…と思わない日はありませんでした。でも、私にも現実は厳しく、やらなくてはならない社会的手続きや仕事、そして日々の「生活」に追われる毎日……。
その頃の私も、知人に言わせると、「壊れかかっていた」というくらい、立って生きているのが不思議なくらい痛々しかったそうで、本当に周囲の方々にはご心配をおかけしていたようです。
まぁ、私のことはさておき、連れ合いの状況はかなり深刻でした。それを見ていることしか出来ない自分自身に、無力感と絶望感を感じずにはいられない毎日……。
ある時、犯罪被害者の精神状態にも詳しい大学病院の精神科の教授を紹介していただく機会があり、連れ合いのことを相談に伺ったことがあります。
その先生は、深くいたわるような目で私を包むようジーっと見つめながら、
「あなたのご主人のことは、誰もどうすることも出来ないンだよ。
私が言うのは、申し訳ない限りなんだが、「時間」と彼自身でしか癒せないものなんだ。でも、必ず大丈夫にはなる。最短でも5年はかかるんだ。あなたは、彼の為に5年間じっと見守り続けてあげるしかないんだよ。あなたにその覚悟はありますか?」とおっしゃったのです。
泣きながら大きく頷いたあの時から、今の私はあるのです。

そして、その先生の言葉は本当でした。
(もちろん、その間に私は心のケアに関する本を読みあさり、連れ合いもカウンセリングやセラピー療法を受けたりもしましたが。)
それでも、今もこうして私たち夫婦が笑って生きていられるのは、周りの皆さんのたくさんの見えない大きな力の支えがあったからです。

この体験があるので、私は、震災の支援にあたっても「5年間は何らかの形で諦めずに関わり続けよう」と決めています。

それには、もうひとつ、今の私の原動力の元となっている、忘れられないエピソードがあるのです。
人知れず最もめげていた時に、ある友人が見えない力で私を救ってくれたお話です。
その友人はとてもとても優しくて、ナイーブ過ぎるくらいの人でしたので、その頃の私の状況を知らせていませんでした。彼女が「たまには会いましょうヨ」と連絡してきた時、「いつかは言わなくてはいけない…友達なんだから…」と覚悟を決めて会いました。
彼女は直ぐに私の異変に気づき、じっと私の話を聞いてくれました。
あらかたの事情が話し終わった時、彼女は私の手をギュッと握りしめながら、ハラハラと泣き出しました。
戸惑う私に、彼女は手を握りしめ続けながら、こう言いました。
「私が泣いちゃってごめんなさい…。私には、きっとあなたのことはわかりたくてもわかることが出来ないと思うの……。私は何もしてあげられない……。何の力にもなれない……。こうして泣く事しか出来ないけれど…でもね、いつもそばにいるから……。ごめんね……こんなでごめんね……。」
この言葉を聞いた途端、私もハラハラと涙を流していました。
……でも、それは暖かく私を包んでくれる涙でした。その頃は誰の前でも泣かずに動き回っていた私が、やっと人前で流すことのできた温かな涙でした。
この時初めて、私は「救い」を感じました。それまでにも、たくさんの励ましの言葉をいただいていたのに、彼女のこの言葉に、一番救いを感じました。

それは、彼女の中から溢れて来る目には見えない大きな力でした。
自分は無力で何もしてあげられない…という素直な事実を認めた先にある大きな「まごころ」と呼んだらいいのでしょうか…すべてを投げ出して共に泣いてくれたその気持ちの中に満ち溢れていた深い愛に、私は何にも代え難い大きな力を感じたのです。
目に見える形で助けてくれることが出来ないからといって、それだからといって助けにならない訳ではないことを、彼女は教えてくれたのです。
そうだ、こうした素直な心こそが大切なんだ…私も連れ合いに対して、まごころで素直に向き合いさえし続ければいいんだ…と彼女を通して、決意と覚悟を決めることも出来たのです。

ボランティアをしよう、困っている方々の支援をしよう、とする時、私たちはどうしても「こうあるべき」という理想を描きがちです。でも、十人十色というように、ひとりひとり出来ることは違うのです。そして、違うからこそ、裾野の広いサポートだって可能になるのです。違わないと困るのです。
もちろん、技術的ノウハウだって必要です。それはサポートする側の大きな自信となりますし、無駄のないサポートが出来ることでしょう。
でも、きっと基本は泣いてくれた友人のような、寄り添うような思いやりと相手のことを思い遣るのに必要な想像力なのだと思います。比較したり、目に見える途中経過では判断出来ない、見えないところに、大きな力があるのです。
「出来ない」「無力だ」と認め、謙虚になる時、はじめて見えて来るものがあるような気がします。
「出来ない」「無力だ」と認め、諦めずに謙虚になり、そこから「少しでも何か力になりたい」と思う時、自分では気づかなくても、大きな力が動き始めているのだと、私は感じています。

きっと、理想ではなく、愛が働く場所として、自分の居るその場所でまごころを尽くせばいいのでしょう。「出来ないこと」を素直に認め、無理をせず(無理をしない勇気を持って)、自分にも極力ストレスを与えない形で(要は気持ち良く、楽しく)働くことが大切なのでしょう。

いつも出す言葉ですが、
「天命を信じて人事を尽くす」そのものだ、ということに、
こう書いて来て、しみじみ思い知りました……☆☆

そして、もうひとつ、大切な事。
それは
「右手のすることを左手に知らすなかれ」 (聖書マタイ伝6章)
ということ。
以前フロモン神父様のお話(『右手のすることを左手に知らすなかれ』)で書いた通り
この言葉は、誰かのために何かをするとき、右手ですることを左手にはわからないようにするように、なるべく人に知られないように、相手にも気づかれないようにやることこそが愛である……といったような意味であると私は解釈しています。
これを実践出来るような、私なりの「青空の人」をめざします。

長くなって申し訳ありませんが、最後に、
最近読んだ「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんの『奇跡を起こす 見えないものを見る力 (扶桑社文庫)』のプロローグにあった言葉をご紹介したいと思います。
「目に見えない大切なこと」というコンセプトで語られている木村さんのこの文章には、私がすべてのもの(社会や世界といった)と繋がりながら、ここまでこうして生きて来ることが出来たことの大きな理由が示唆されているように感じました。
 
 「リンゴが実をつけてくれるようになったのは、「本当に大切なことは目に見えない」と気づいたときです。
  それまでの私は、普段、目に見えている部分ばかりに気を取られ、「本当に大切なところ」をまったく見ていませんでした。そして、自分の力でリンゴを実らせるのだと勘違いしていました。しかし、それは大きな間違いでした。
  人間にできることは、ほんの少し、自然の大きなつながりのなかで、たくさんの命が助け合った結果、リンゴが実るのです。「目に見えないもの」の大切さに気づいたとき、私はようやくそのことを理解することができました。」

「自分が」という想いを捨て、「目に見えないもの」を大切に謙虚に向き合うことが出来た時、きっと、私がやりたかった事が気づかぬうちに出来ているのだと信じて、これから4年間、私なりの「青空の人」をめざします。


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