ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

責めない生き方

今日のBSと総合NHKでやっていた『宇宙の渚』ご覧になりましたか?
素敵でしたネ!素晴らしかったですネ!!
次元を越えた視点で私たちの生きている世界を見せていただけて、
先日書いた『テイル・オブ・ワンダー』じゃないけれど、
私達は元々は平和に生きるように出来ているンじゃないか…としみじみ思いました。

先日書いた「人間でいたい!」の後、更にいろいろ思いが駆け巡りました。
自分で書いていて何ですが、妙に「責めて」いる自分を感じて…。

すべてと繋がっているのなら、誰かを責めるのは自分を責めることになります。
でも、責めることで問題が解決することなんて、果たしてあるものでしょうか?

自分がしたことに対して「責任」をとらなくてはならないし、きっといつか責任をとることになるのは、当然のことだと思うし、必ずそうなると信じています。
ならば、何故責めているのだろう…と。
もしかして、今起きていることを正視出来なくて、自分にも責任があると思うからこそ向き合うのが怖くて、現実逃避に近いものが働いて「責めて」いないでしょうか?(私自身にはそのケがあるように思いました…。)

今日の『宇宙の渚』を観ていると、妙に「責める」事自体がアホらしくなってきて、「責任はいずれとることになるだろうから、それはそれとして、問題は今をどう受けとめる事が出来るか…なのかも」と思えて来たのです。

一昨日観た映画『キンキーブーツ』に、こんなシーンがありました。
ドラッグクィーンのローラが工場の顧問デザイナーとなり、
工場の近くに住む老女の工員の所に下宿するのですが、
その老女に「あなたはもしかして男なの?」と尋ねられ、ドキリとしながら頷くと、彼女はニッコリと笑って「あらそう、わかって良かったわ。これからはトイレの便座を上げておくようにするわね」とだけ言って去って行くのです。

何があったのか?
どうして、そうなってしまったのか?
そんなことはどうでもイイわ、それより何より、
今はどうなの?
今のあなたの気持ちはどうなの?

淡々とニコニコして生きながら、そう言っているような工場の人達。
(もちろん、偏見と思い込みで接するマッチョな工員もいるのだけど、
 彼ともやがて少しわかり合い、いたわり合う所も素敵でした。)

今を大切にし、
今起きていることをそっくりそのまま受け入れて、
だからこそ、人間同士いたわり合っていきたい…。
先日のブログを書いて2日目で、
今度は『宇宙の渚』を観て、更に決意を堅くしたのです。

震災が起こってしばらくした頃、東京でも「買い占め」という残念な現象が起きました。その時に、私の連れが、彼のブログで書いたものがあって(『天真爛漫』)、
そこで「天命を信じて人事を尽くす」という言葉を紹介しています。
http://unchan7.blog38.fc2.com/blog-entry-8.html
「そこで、それをどうしたらいいか?という事について清沢先生が別のところで言われた言葉でいうと「天命を信じて人事をつくす」である。
「人事をつくして天命を待つ」という方は、およそ入学試験でも受けた事のある人は1度は意識したことのある言葉だろうが、これだと自分は本当に「人事」をつくしたのか?という疑問がつきまとう。もしくは結果が出せなかった時、自分を責める、という事になりがちではないかと思う。要するに「人事」の方に重点が置かれている。
逆に「天命を信じて・・・」という事が先にあれば、
何か知らないが、私を今の場所に生み出した力があって、ここに存在している以上、私にはここで為すべき事があり、がんばらねば……という気に自然になるように思われる。」

そうなんです、
「天命を信じて人事を尽くす」のであれば、
何が起こっても、誰が何と言っていようと、
私は自分が成すべき事をしているだけで、あなた方の評価の為にやっているのではない、と思えるなぁ…と。
誰かと対立する必要だって全くないよなぁ…と。

少しずつでも、「責めない」生き方をしていけるようになりましょう。
「天命を信じて人事を尽くす」のですから。
 
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