ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

急に想った。

もともと文章を書くのが大好きで、
本を読むのも大好きで、
大学を卒業した後、はじめは某出版社に契約社員で入社しました。
事務系の仕事に移動しそうになっていた頃、
会社(渋谷にあった)のソバで学生時代に同じサークル(JAZZ研)にいた友人とバッタリ出会い、彼が今通っているというデザインの専門学校に遊びに行ってみたら、「第二部(夜間部)願書受付 本日まで」の貼り紙を見て、
何の考えもなく願書の申し込みをし、1週間後に試験を受け、その専門学校でグラフィックデザインを学んでいました。
さすがに両親はお金を出す気にはなってくれないので、
出版社を辞めて、昼は出版物の校正の仕事をしながら夜間は専門学校への日々を2年間すごしました。
イヤ~、学費を自分で出すとなると、真剣さが違いますね。
一番真剣に勉強したし、充実していたかもしれません。

何年かデザイン会社にも務めましたが、
4~5年後にはフリーでデザインの仕事をしていて、
病気で眼を悪くするまで(6年前)まで仕事してました。

私は急に想うコトがあると、気が付くと動いているコトがよくあります。
友人には
「いつ死んでも不思議には思わないけど、餓死する前には相談しろ」と言われたことがあるほどです。

で、タイトルの話ですが、
今日、突然おかしなことを思いました。

先が見えなくても、
見えないからこそ、
私は幸福なんだ。
見えないモノを信じて前に進むことが出来るから。

何もなくても、
何もないから、
私は幸福でもあるのかもしれない。
何にも捕われずに
実はこんなに自由だから。
(でも、お金は欲しいデス)

翼がなくても、
翼がないからこそ、
私は幸福なんだ。
実在の翼では行く事の出来ない彼方まで、
瞳を閉じれば飛んで行くことが出来るから。

欠点も良い所も、天が観ていると想えば素直になるしかなくて、
この欠点であっても、天は役に立ててくださるのだ、と想えば、
あるがままでいればいいのかもしれない。
もしかしたら、そのコト自体が大いなるギフトかも・・・。

なんて、支離滅裂でスミマセン・・・。

あまりの絶望で両手を高く挙げる力さえ失った時があり、
その時出来ることと言えば、両手を合わせることが精一杯でした。
その時「祈る」ことしかできない・・・と想いながら、
逆に「祈る」ことこそに、大きな力を感じ、
私の生活は「祈り」が中心になっていき、早11年になりました。

状況がさほど良くなったわけではないのに、
どういうわけか、自分の中はかなり変わったように思います。

ンじゃ、また。
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