ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

不自由な中にある幸せ♥

体中にガスがたまって、痛くて眠れないので、
気晴らしにイイ事を考えようと思ったついでに、
せっかくだから、それをブログに書こうと思います。
(かなりノー天気ですので、あしからず……。)

前回アレルギーのお話をしましたが、
食べられない物が多いから……と不幸なわけでもありません。
「これは大丈夫かな……?」と探り探りの生活は、
実はかなりのミステリアスさに満ちていて、冒険の日々なのです。
料理も工夫しますしネ。
Khanam(カナム)という素敵なお店とご夫婦とお菓子に出会える、
というラッキーがついてくることだってあるし。

また、病気になってしまって、仕事が出来なくなり、
収入が入らなくなったばかりか、医療費で支出は増えるばかり、
しかも仕事でリースしていた機械のリース料も支払い続けなくてはならず、
かなりの貧乏生活となりましたが(借金もできちゃったし)、
これもまた、だからと言って不幸になったわけでもありません。

引っ越す時に(以前の部屋はちょっと贅沢だったので)驚いたのは、
まぁ、無駄な物を貯め込んでいた事実でした。
それなりに収納があったせいで、何でもとっておき過ぎていて、
逆に「もったいない」ことをしていたのです。
今では、必要な物しか買えないし、大切に使うし、
とっておいて忘れるなんて、あり得ないし……。

今はなんせ、時間はタップリありますからね〜。
いろいろな事に手間や時間をかけることが出来るというのは
実はなかなか贅沢なことだ、と気づいたのも
病気や貧乏と付き合い始めてからです。
もともと私は食いしん坊なので、
旬の食材(旬のモノは安い)を手間と時間をかけて料理することは
楽しいことのひとつなのです。

もちろん、多少の体力がいりますから、
体が私の意思の通りに動いてくれない時は、その楽しみも出来ませんが、
そういう時こそ、忍耐の訓練になります。
どうしようもない時は、文字通り「どうしようもない」のだから、
ジタバタせず、痛みやしんどさが通り過ぎるのを待つしかありません。
痛みやしんどさ、というものは状態であって、私の心や感情の外にあるものだ、
と気づくに到ったのは、病気がなかったら、あり得ないことであったのです。
(気づいた時のことは、またそのうち別に書こうと思っています。)
しかも「こだわらない」ことを身をもって体得出来つつあることは、
何ともありがたいことです。
なぜなら、私はこだわり過ぎるところがあって、
子供の頃はもとより、思春期などは、自分のこだわり過ぎを持て余し、
「如何にすればこだわらずに生きていけるのか……」
が私の大きなテーマでもあったからです。
(こんな形で望みが叶いかけてくるとは……!!)

体が思うように動けない日が続いた後も、動けるようになった時が勝負時です。
動ける時に如何に効率良く山積みの家事ややり残して来たことを済ませるか…と
計画性と判断力を試される時なのです。

また、余った食材を如何にして保存させれば長持ちするのか……、
コレなどはまるで科学実験で、ちょっとワクワクする「研究」でもあるのです。

また、服なども新しいものなど滅多に買えるものではありませんが、
如何に工夫して、ちょうどその時に流行っている雰囲気に近づけるか……
コレも、なかなかのチャレンジのしがいがあるのです。
服が変わらなくても、アクセサリーや髪型で全く違う雰囲気になったり、
安い経費で自分でリメイクしちゃったり、
どうしても必要なものは、オークションで購入したり……と、
冒険とロマンに満ちていて、なかなか楽しかったりします。

不自由な事が多いと、あまり細かいことにウジウジとこだわらなくなってきます。
いや、こだわっているヒマなどないからでもありますが……。
「ま、何とかなるサ」
「なるようになる」
「心配するのは本当にそうなった時にしよう」
「きっともうすぐ大丈夫になる!」
と、どんどんアホになっていきます。

でも、だからといって「不自由バンザイ!」と思っているほど
アホではありません。
不自由な時でも、贅沢が出来た時よりも楽しいことが見つかったり、
気づかなかった大切なことに気づけたり、
人間関係も含めて、いろいろな事の中の本当の姿が見えてきて、
シンプルになっていくことが出来たりすることに
「幸せ」を感じる、ということです。

健康にだってなるつもりだし、
もうちょっとお金だってないと困るし。
諦めているワケじゃありません。
むしろ、何の根拠もなく「良くなるに決まってる!」と思ってマス。

でも、しみじみ思うのは、
お金があって、贅沢が出来る時には確かにそれなりの幸せがあり、
そういう状態でないと得られない幸せも確かにあるけれど、
貧乏だったり病気だったりしていても、
逆にその状態でなければ得られない幸せがあるんだなァ……ということです。

思春期の頃は
「幸せは、幸せだったと気づいた時にはもう過ぎ去っている…」
ナ〜ンて思っていたけど、
実はそんなことはないンですよネ。
よくよく考えてみれば、
私の側にはいつも「幸せ」がいたのです。
だから生きてこれたのです。

どんなに辛い時でも、悲しい時でも、
これを読んでくださった皆さん、一緒に幸せになりましょうネ。
大丈夫、なれますヨ!
だって、いつでも側に「幸せ」はいるから。
あなたの側にもね……!
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