ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

アートは作家ひとりにしては成らず。














映画『ハーブ&ドロシー』を観てから、
私の中で昔よく思っていた「想い」が甦ってきていたのですが、
昨日SO BOOKSさんでゲットした荒木経惟さんの空の写真集 " Skyscapes " を観ていて
その「想い」が確信に変わりました。

どんなに才能のあるアーティストでも、
その人ひとりだけでは成熟し得ないのがアート(芸術)なんだな……と。

『ハーブ&ドロシー』に登場するアーティストは、
ミニマルアートやコンセプチュアルアートのNY現代美術界の大御所ばかりなのですが、
ヴォーゲル夫妻が買い求め始めた頃は無名だった人がほとんどです。

どんなに自分を信じていても、誰も見向きもしなければ、
心が折れそうになったことは一度や二度ではないでしょう。
そんな時に小額なものでも買ってくれる”誰か”がいたら、
自分の成長を一緒に楽しみ、「イイね」と言ってくれる”誰か”がいたら、
それは自分の為だけのアートではなく、”誰か”の為のアートともなり、
社会性を帯びたものになっていくでしょう。
社会性を帯びるということは、意識が変わることも意味します。
世界の中の自分がアートを創造していく、ということが、
同じ一本の線をひいても、以前とは違う線になっていることでしょう。
この意識の積み重ねが成熟した豊かさや広がりを加えるに違いない!
と思ったのです。

これは、『ハーブ&ドロシー』を観れば、
ヴォーゲル夫妻が楽しむ時アーティスト達もうれしそうに楽しんでいるのでよくわかります。
まるで、プラスのエネルギー同士がぶつかり合って、さらに2倍にも3倍にもエネルギーがはじけながら増殖していくようで、観ているだけでウキウキしてきます。
それは、寄り添い、共有し、お互いに楽しむことで可能になっていくもののようです。
(批評家や評論家とだって、同じように共有し楽しむことができれば、
きっとお互いに高め合う理想的関係が築けるでしょうに……。)

そこに、荒木経惟さんの " Skyscapes " の登場です。
荒木さんは愛する奥様を亡くされた後しばらくは
空しか撮ることが出来なかったそうです。
そこには、深い喪失感と深い深い愛と、深い祈りだけが純粋にあったでしょう。
絶望感と無力感で手を持ち上げる気力すらなくした時、
両手を合わせることだけは出来て、そこではじめて「祈り」と出会うように、
荒木さんは空を撮ることと出会ったのだな……と、
写真集を見ていてしみじみ感じました。
それはヴォーゲル夫妻がもたらす作用とは逆に、
寄り添い共有し、共に楽しむ存在の喪失から生み出されたものですが、
これもやはり、それだけの大切な存在があってこそ生み出されるものでしょう。
ただ空だけを撮っているのにただの空ではないのは、
荒木さんが才能をひとりで磨いてきたからではなかったからでしょう。

これって、私たちのささやかな生活にだって、言えることですよね。
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