ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

父路門先生のご帰天☆番外編

父路門先生とは、結婚してからは、夫婦共々おつき合いいただいておりましたので、
当然、連れ合いも「通夜の儀」には参列させていただきました。
彼は浄土真宗の僧侶でもあるので、法衣で参列したのですが、
意外な事に、僧侶らしき方は彼以外におらず、案外と目立っておりました^^;

その連れが、私のブログをfacebookでシェアしてくれたのですが、
その投稿文がとても良かったので、その投稿文そのままをここでご紹介したいと思います(^^ )ノ♪
(もちろん本人の了解済みです)

当たり前の話ですが、関わり方が違うからこその、捉え方の違いは、
私が思い入れが強くいっぱい一杯になってしまった分、
ちょっとした救いすら感じます(^-^*)☆!!

お通夜の時の様子も、私の書いたものより詳しく、わかりやすいかもしれません(^^;;

_________________________

◎宇田 紅

ご記憶してられる方おられるでしょうか?
去年の4月頃にカソリックの引退された神父様達が暮らしてられる施設に、家内が学生時代からお世話になっていた神父様をお訪ねした時の話しを。

(以下がその時の文章です)
 ○2013年4月17日
 先日、家内が学生時代からお世話になっているカソリックの神父様に面会にうかがいました。
 ご高齢なので上智大学神学部の一隅にある「ロヨラの家」という施設におられます。
 5分の面会もベッドで寝た状態で、でしたが一生の間祈りとうして来られた方の平安と威厳と明るさが直接伝わってきました。
 「ロヨラの家」にも同じ種類の平安が漂っていると感じました。
 宗教を持っている事の豊さが直接伝わってくる良い経験をさせていただきました。

 
 ○2013年12月24日
 家内が学生時代にお世話になったイエズス会の神父さまから、クリスマスカードをいただきました。
 写真に写っているのは老齢やご病気で引退された神父さま達です。
 明るいな〜この方たち。
 日本ではクリスマスは子供と若い人のイメージですが、
 人生の最晩年をこんなに明るくするのがイエス様の真骨頂という気がします。
 もちろん、この方達が生涯を財産を集めるためでも、権力を固めるためでもなく過ごしてこられた結果でもあると思います。
 一生涯をどういう方向に使うかは、人生の一大事であると考えさせられます。


その神父様がこの8月9日にご昇天されました。
去年お訪ねした時もパーキンソン病が進行し、ベットに横たわれての面会でした。
7月に「いよいよ危ないかも」という知らせを聞いていたのですが、この10日にご逝去の知らせが入りました。

父路門フランソワ(正確には)司祭は26歳の時に来日され、その後、東京の聖イグナチオ教会で司祭になられたそうです。
1966年から36年間上智大で教鞭をとられ、学生寮の舎監などをなさってられました。(この頃に家内が友人の勉学と信仰上の師としてお会いしました。)

11日に四谷の聖イグナチオ教会でのお通夜に家内と2人でうかがいました。

家内にとっては人生の節目節目で思い出す方だったので、「もう体の中にいない方が楽だし、魂になってかえってご活躍されるのでは?」という気持ちがありつつも寂しさは拭いきれないようでした。
私はキリスト教式のお通夜に参加するのは12の時の母親(プロテスタント)の通夜以来でした。

香典や香典返しの風習もなく、記帳するだけで入場し、簡素なお花とお写真が飾ってある祭壇を見て、いかにも故人のお人柄を表した感じだな、と思いました。
(司祭の方の通夜ってあんな感じなのでしょうか? 日本仏教だと地位のある坊さんの葬儀はすごく大層な事になります。)

祭壇のお写真を見ると、かなりお痩せになってからのお写真でしたが、故人の何処か厳しいところもありながらも、暖かい包容力のある人柄そのもののお写真でした。
式が始まり司祭の方の儀式、祈願があり、その時から皆で立って聖歌を歌うのですが、日本語訳のものはプロテスタントと同じ歌で小学生の頃歌ったのと同じものでした。

それから神父様達からのお説教という事になっていましたが、聖書からのお話しというより故人との想い出のお話しでした。施設の館長様がお話しなられた
「父路門先生は延命治療がお嫌いで、いよいよ口から食べられなくなった時に点滴をしようとすると、“いりません、私を神様のところへ行かせて下さい”とおっしゃるのですが、点滴はいまや特別な延命治療ではなく普通の治療ですから、と説得すると、考えてから受け入れてくださいました。」
というエピソードはいかにも故人のお人柄をしのばせるものでした。

もう一人の神父様がお話しされる際
「父路門先生が“これからは、皆さんのそばにいます。今までは皆さんが私のために祈ってくれましたが、これからは私が皆さんのために祈ります”と言っています。…と思います。」
と、初め一人称の伝言調だったのが言い直される、という表現が何度かあり、故人の霊の言葉をどこかで分かる、と思ってられるんだろうな、とおもいました。
近代仏教の葬儀では聞かれなくなった言い方でイイな、と思いました。

式次第が終わり、最後にご焼香、そのあと参列者全員一人づつご遺体にご対面させていただけたのですが、本当にお痩せになっていましたが、胸の前で手を合わされた綺麗なご遺体でした。
何の執着もなくキリスト様の居られるところに行かれたんだなー、とつくづく思いました。

外面上全く違う宗教なのですが、一生涯祈り通した先輩宗教家の死はとても美しいものが感じとれ、これからの私の生涯の指針の一つになるだろう、と思いました。

________________________________
以上ココまでが投稿文です(^-^)v


⇩コチラは、去年のロヨラハウスから届いたXマスカードの写真です☆
(クリックすると、大きく見れます)
ロヨラハウスからのXmasカード
スポンサーサイト

父路門(フロモン)先生のご帰天☆

以前にこのブログでも
『フロモン先生』
『右手のすることを左手に知らすなかれ』
でご紹介した、父路門フランソワ神父様が
8月9日午前8時40分にご帰天になられた(享年83歳)、
との知らせをいただきました。

7月に友人から
「いよいよかもしれないから、会いに来るなら今のうちかも…」と知らせを受け、
他にお会いになりたい方もたくさんいらっしゃるだろうから…と、
祈りながら日々を送っていたので、覚悟は出来ていたつもりでしたが、
やはり、寂しく、悲しいものです。

10日は何故か、何をやっても力が妙に抜けた感じで動いている感がありました。

1ヶ月ほど前から、想いが先生に行く度に祈ってきたので
「ついに…」という感しかないのですが、
妙にしんみりとため息をつきがちだったり……。

頭では、パーキンソン病で肉体が意識とは別に思うようにいかない日々を送られていた先生にとっては
「魂が自由になられて、天に召されて自由にお働きのことだろう…」と思いつつも、
私自身の身体がその意識について行けず、悲しんでいるのがわかるのです……。

直接お顔やお声を拝見出来ないことへの寂しさや喪失感と共に、
身体が記憶している父路門先生という存在に対して、喪失した悲しみが身体と感情にあるようです。



父路門先生にお祈りをすると、重い世界の中で軽やかで輝く魂がいらっしゃるような感じがします。

最後にお会いした時にベッドから天井に向けて人差し指をヨロヨロと突き立てて「あちらに先に行ってお出でになるのを待っています」とおっしゃった言葉が忘れられません。

昨日(11日)は、1日中父路門先生の「通夜の儀」に参列することがメインの日となりました。

朝からの日常的な行為のそこココで、父路門先生の思い出や言葉がフと蘇るのです。

学生時代に親友の「師」として出会い、いつしか私の師にもなってくださっていた父路門先生。

人生の節目節目に必ず私の心の中で登場する大切な方でした。


様々なことを思い出す度に、ニッコリし、再び感動し、感謝する時間になっていく。

そんな時間を積み重ねて、さぁ、夕方となり、聖イグナチオ教会へ。



式の前に、しばらくの間、教会内の空間に父路門先生の輝くような愛の気配を感じ、
腰掛けて手を合わせながら、
心の底から「ありがとうございます!!」と感謝し続けていました。

パイプオルガンの音と共に、空間に広がっていた父路門先生の気配がスーっと消え、おや?と思いましたが、式の途中で中央に飾られていた父路門先生のお写真に、その気配が集まっているのに気づきました。
……式の参列者を見守って下さっているような気がしました。
遠く離れていて葬儀に来られない方々の手元にあるお写真にも、きっと同じように父路門先生がお出でになっているような気さえしました。


とてもシンプルで静かな、父路門先生にふさわしい「通夜の儀」でした。

弔辞を読まれた仏文の学部長さん(?)も、
ロヨラハウスの館長さんも、
お説教をしてくださった神父様も、
皆さま、父路門先生のエピソードを慈しむようにお話ししてくださり、
「そうそう、そういう方だよネ……」と少しだけ微笑むように耳を傾け頷く時間でした。

そしていよいよ、祭事で使うお香を使ってのお焼香をし、ご遺体と面会させていただきました。

それまでは式中微かに微笑んでさえいたのに(父路門先生は「泣かないで…」とおっしゃっていたのに)ご遺体を見た途端、私自身の肉体そのものが反応して(想いとはウラハラに)、涙がハラハラとこぼれ落ちました。

見事に、もうすでにそのご遺体から父路門先生は抜け出ていて(まさしくお写真の中に移動していらした)、「これからは、形を変えて皆さんの側に寄り添っていますよ」とおっしゃっている通りなのを感じました。

もう、このお体にはいらっしゃらない……という実感が私自身の肉体には、かなり悲しいことのようです。



今、私の心は喜びと寂しさとで半々の状態のような気がします。

妙に沈んだように静かであり、
今までよりも深い所で先生と対話が出来そうな静かなワクワク感があり、
先生から
バトンを受け取った一人でもある実感で、責任を持つ覚悟を決めた引き締まる緊張感すらあるのです。

……それが、そのまま身体に表れている気がしています。
(
しばらく、この身体の様子を見守ってみようと思っています。

今の私に、自分の身体を大事にする為に出来ることが、これしか思いつかないから。…そして、きっと大丈夫な気がしています。)

ある意味、肉体を離れられ、自由な魂として、何時でも何処へでも飛んで行かれる(すでに飛び回られている…?)気がして、行動的な先生にとっては、うれしいのかも…と思うし、いつでも心でお会い出来るのだから私にとってもありがたいことなのかも…とも思うのです。
でも、もう実際には生のお顔も拝見出来ないし、フランス訛りのたどたどしいリズムで話されるお声も聞くことが出来ない寂しさ……。
しかも、「もう、私のところに来ることからは卒業する時期ですよ。あなたのところに来た方々に、あなたがする番になったのですよ」と言われているようで、
いよいよ「恩送り」の時が来たのか……と心が引き締まる感さえあります。
出来るだろうか……?出来なきゃ、申し訳ないもの、きっと出来るよネ!


前日「 “おかえり!” と言える存在になりたい」と友人に言ったばかりでしたが、
父路門先生は、いつでも「やぁ、よくきましたネ!」とニッコリしてくださる存在でした。

……そうか、私の理想の方だったんだなぁ……。




父路門フランソワ先生、
心からの感謝と、
魂でのこれからのご活躍をお祈りいたします(U_U)☆
父路門フランソワ先生


追伸
やはり以前に
本『さよならのあとで』のことをご紹介したことがありますが、
まさしく、あの本は父路門先生のお言葉そのもののような気がしています。
そういう方なんです☆
よろしければ、⇩コチラも読んでみてくださいネ。
本『さよならのあとで』


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。