ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

父路門(フロモン)先生のご帰天☆

以前にこのブログでも
『フロモン先生』
『右手のすることを左手に知らすなかれ』
でご紹介した、父路門フランソワ神父様が
8月9日午前8時40分にご帰天になられた(享年83歳)、
との知らせをいただきました。

7月に友人から
「いよいよかもしれないから、会いに来るなら今のうちかも…」と知らせを受け、
他にお会いになりたい方もたくさんいらっしゃるだろうから…と、
祈りながら日々を送っていたので、覚悟は出来ていたつもりでしたが、
やはり、寂しく、悲しいものです。

10日は何故か、何をやっても力が妙に抜けた感じで動いている感がありました。

1ヶ月ほど前から、想いが先生に行く度に祈ってきたので
「ついに…」という感しかないのですが、
妙にしんみりとため息をつきがちだったり……。

頭では、パーキンソン病で肉体が意識とは別に思うようにいかない日々を送られていた先生にとっては
「魂が自由になられて、天に召されて自由にお働きのことだろう…」と思いつつも、
私自身の身体がその意識について行けず、悲しんでいるのがわかるのです……。

直接お顔やお声を拝見出来ないことへの寂しさや喪失感と共に、
身体が記憶している父路門先生という存在に対して、喪失した悲しみが身体と感情にあるようです。



父路門先生にお祈りをすると、重い世界の中で軽やかで輝く魂がいらっしゃるような感じがします。

最後にお会いした時にベッドから天井に向けて人差し指をヨロヨロと突き立てて「あちらに先に行ってお出でになるのを待っています」とおっしゃった言葉が忘れられません。

昨日(11日)は、1日中父路門先生の「通夜の儀」に参列することがメインの日となりました。

朝からの日常的な行為のそこココで、父路門先生の思い出や言葉がフと蘇るのです。

学生時代に親友の「師」として出会い、いつしか私の師にもなってくださっていた父路門先生。

人生の節目節目に必ず私の心の中で登場する大切な方でした。


様々なことを思い出す度に、ニッコリし、再び感動し、感謝する時間になっていく。

そんな時間を積み重ねて、さぁ、夕方となり、聖イグナチオ教会へ。



式の前に、しばらくの間、教会内の空間に父路門先生の輝くような愛の気配を感じ、
腰掛けて手を合わせながら、
心の底から「ありがとうございます!!」と感謝し続けていました。

パイプオルガンの音と共に、空間に広がっていた父路門先生の気配がスーっと消え、おや?と思いましたが、式の途中で中央に飾られていた父路門先生のお写真に、その気配が集まっているのに気づきました。
……式の参列者を見守って下さっているような気がしました。
遠く離れていて葬儀に来られない方々の手元にあるお写真にも、きっと同じように父路門先生がお出でになっているような気さえしました。


とてもシンプルで静かな、父路門先生にふさわしい「通夜の儀」でした。

弔辞を読まれた仏文の学部長さん(?)も、
ロヨラハウスの館長さんも、
お説教をしてくださった神父様も、
皆さま、父路門先生のエピソードを慈しむようにお話ししてくださり、
「そうそう、そういう方だよネ……」と少しだけ微笑むように耳を傾け頷く時間でした。

そしていよいよ、祭事で使うお香を使ってのお焼香をし、ご遺体と面会させていただきました。

それまでは式中微かに微笑んでさえいたのに(父路門先生は「泣かないで…」とおっしゃっていたのに)ご遺体を見た途端、私自身の肉体そのものが反応して(想いとはウラハラに)、涙がハラハラとこぼれ落ちました。

見事に、もうすでにそのご遺体から父路門先生は抜け出ていて(まさしくお写真の中に移動していらした)、「これからは、形を変えて皆さんの側に寄り添っていますよ」とおっしゃっている通りなのを感じました。

もう、このお体にはいらっしゃらない……という実感が私自身の肉体には、かなり悲しいことのようです。



今、私の心は喜びと寂しさとで半々の状態のような気がします。

妙に沈んだように静かであり、
今までよりも深い所で先生と対話が出来そうな静かなワクワク感があり、
先生から
バトンを受け取った一人でもある実感で、責任を持つ覚悟を決めた引き締まる緊張感すらあるのです。

……それが、そのまま身体に表れている気がしています。
(
しばらく、この身体の様子を見守ってみようと思っています。

今の私に、自分の身体を大事にする為に出来ることが、これしか思いつかないから。…そして、きっと大丈夫な気がしています。)

ある意味、肉体を離れられ、自由な魂として、何時でも何処へでも飛んで行かれる(すでに飛び回られている…?)気がして、行動的な先生にとっては、うれしいのかも…と思うし、いつでも心でお会い出来るのだから私にとってもありがたいことなのかも…とも思うのです。
でも、もう実際には生のお顔も拝見出来ないし、フランス訛りのたどたどしいリズムで話されるお声も聞くことが出来ない寂しさ……。
しかも、「もう、私のところに来ることからは卒業する時期ですよ。あなたのところに来た方々に、あなたがする番になったのですよ」と言われているようで、
いよいよ「恩送り」の時が来たのか……と心が引き締まる感さえあります。
出来るだろうか……?出来なきゃ、申し訳ないもの、きっと出来るよネ!


前日「 “おかえり!” と言える存在になりたい」と友人に言ったばかりでしたが、
父路門先生は、いつでも「やぁ、よくきましたネ!」とニッコリしてくださる存在でした。

……そうか、私の理想の方だったんだなぁ……。




父路門フランソワ先生、
心からの感謝と、
魂でのこれからのご活躍をお祈りいたします(U_U)☆
父路門フランソワ先生


追伸
やはり以前に
本『さよならのあとで』のことをご紹介したことがありますが、
まさしく、あの本は父路門先生のお言葉そのもののような気がしています。
そういう方なんです☆
よろしければ、⇩コチラも読んでみてくださいネ。
本『さよならのあとで』


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Comment

東さんもお通夜にいらしていたのですね。
夫(勇二)が
誰かいたようだけど、よくわからなかった。
と申していました。私は、通路を隔てた席に高校の同級生で父路門先生の教え子が座っていたので、思わぬ場所で再会しました。
私たちも日本に帰ってきたので、いつかお目にかかれるといいですね。そうしたら父路門神父様のことを語りましょう。
残暑厳しき折、お体大切に。
中田久乃
久乃さまへ
いらっしゃっていたんですネ。
私は僧侶の格好をした人間(これが連れ合い)と一緒にいた、グラサンの女です^^;
日本にご滞在中にお時間ありましたら、是非ともメールをいただけたらうれしいです(^ー^)
2014.08.13 17:24 | URL | 宇田 三奈子 #- [edit]

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