ぼちぼちいこか
病気療養中だけどぼちぼち明るくいきたいネ♡

HEAVEN

Jimmy Scott / HEAVEN

一昨日、久方ぶりにある人に対して尋常なく怒っていました。
病人のクセに、身の程知らずに怒り過ぎて、昨日はかなりヘタっていましたが、それでもなにやかやとやる事があり、「疲れている」程度の意識でした。
ところが、今日になって、やっとゆっくり出来る時間ができた…と思った途端、ヘロヘロのボロボロです(^^;;)))/

でも、まぁアレですネ。時には怒るのも大切なようですww
NVCというコミュニケーションを学び始めているおかげもありますが、自分が押さえ込んでいたことや、実はこのところ悲しかったンだということに気づけて、やっとそれを手放すことができましたから(^-^*)☆!!

介護のこと、身の廻りの些細だと思ってスルーしていたことが、実はジワリジワリと微妙な暴力性を持って溶けない粉雪のように積もり続けていたようです。
それが、とてつもなく許し難い行動をした人への怒りがきっかけになって、ドーーーン!と爆発したようです(-ω-;)
自分の中の悲鳴と繋がることで、不思議に落ち着いたというか、更に深い静かで温かな沈黙と出会えた…というか、ヘロヘロのボロボロなのに、妙に清々しいのです♡
やっと粉雪が溶けて流れ出てくれたのかもしれません。

さて、そんな中、昨日連れ合いのやっている (知りたいのだけれど聞くに聞けない)仏教講座に参加してきました。
そこで、ありきたりの生活の中に奇跡がころがっている…という話が出ました。
その話題の中でフと、「そうだよね、この時この場所に天国はあるんだよネ」と思った時、
「HEAVEN」という曲を思い出しました。

若い頃、このTalking Headsの曲が大好きだった時期がありました。
でも、若さ故か、この曲を皮肉な歌として受け取って、ナナメに構えて聴いていました。
天国なんて、ありきたりで実は退屈なんだ……とネ。
まぁ、その後、ジェットコースターのような人生が待ちかまえていようとは思いもしませんでしたから……o(^^;o)Ξ

そこで、久しぶりにTalking Headsの「HEAVEN」をかけてみたら、何か「違う」のです。
そうか、ナナメに構えて聴いていた頃と今の私がきっと変わったからなンだ……と思い至りました。
そして、それなりに大人として齢を重ねる中で出会った、同じ曲なのに全く違うものに聴こえて衝撃と感動を覚えたこのJimmy Scottの「HEAVEN」にたどり着きました☆

Jimmy Scottは幼少の頃にカルマン症候群という病気になり、そのため成長が止まり、声も声変わりせず少年のような声のまま大人になったことが、逆に音楽的には幸いし、1949年代後半から他者を追随させない美声と表現力とで、一時は喝采をあびていたジャズ・ヴォーカリストです。あるレコード会社との「生涯の契約」のせいで、ライブのみでの活動しかできなくなり(当時レコードリリースが出来ないということは、音楽家生命としては致命的な損失となる時代です)、結局、音楽業界からしばらく離れ、普通の昼間の仕事で20年ほどは生活をせざるおえなかったという、壮絶な人生を送った方です。(1991年(66歳)に、友人のミュージシャンの葬儀で歌ったことがきっかけで、再び注目を浴び、奇跡的な復活を遂げた方です。2014年に88歳で亡くなっています。)
そんな彼が歌うと、この曲は別の様相で私に迫ってきます。

ありきたりのような日常だけれど、自分が大好きで楽しいことが、毎日同じに繰り返される場所のありがたさ。
特別なことは何も起きないけれど、賑やかで楽しく、ワクワクすることの中で、穏やかに(きっと不思議と静かに)日々を過ごせることの素晴らしさ。
これを、彼は誰よりも知っていたことでしょう。

今日の私にはあまりにも身に染み過ぎですが、可能な限り、気づかせてもらえたこの「素敵さ」に浸っていようと思います♡

* * * * * * *

HEAVEN

 そのバーには皆が行きたがる。
 そのバーはヘヴンと呼ばれている。
 ヘヴンのバンドが演奏するのはぼくの大好きな曲。
 バンドはその曲をくり返し演奏し、一晩中演奏する。

 ああ、ヘヴンは何も、何も起こらない場所だ。
 ヘヴンは何も、何も起こらない場所だ。

 パーティが開かれて、皆がそこにいる。
 皆が立ち去るのはきっかり同じ時刻。
 このパーティが終わると、パーティがまた始まる。
 同じパーティが、まったく同じに。

 ヘヴンは何も、何も起こらない場所だ。
 ヘヴンは何も、何も起こらない場所だ。

 このキスが終わっても、また始まる。
 同じキス、まったく同じ。
 こんなわくわくすること、こんなに楽しいこと
 想像できるかい。

 ああ、ヘヴン、ヘヴンは何も、何も起こらない場所だ。
 ああ、ヘヴン、ヘヴンは何も、何も起こらない場所だ。






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父路門先生のご帰天☆番外編

父路門先生とは、結婚してからは、夫婦共々おつき合いいただいておりましたので、
当然、連れ合いも「通夜の儀」には参列させていただきました。
彼は浄土真宗の僧侶でもあるので、法衣で参列したのですが、
意外な事に、僧侶らしき方は彼以外におらず、案外と目立っておりました^^;

その連れが、私のブログをfacebookでシェアしてくれたのですが、
その投稿文がとても良かったので、その投稿文そのままをここでご紹介したいと思います(^^ )ノ♪
(もちろん本人の了解済みです)

当たり前の話ですが、関わり方が違うからこその、捉え方の違いは、
私が思い入れが強くいっぱい一杯になってしまった分、
ちょっとした救いすら感じます(^-^*)☆!!

お通夜の時の様子も、私の書いたものより詳しく、わかりやすいかもしれません(^^;;

_________________________

◎宇田 紅

ご記憶してられる方おられるでしょうか?
去年の4月頃にカソリックの引退された神父様達が暮らしてられる施設に、家内が学生時代からお世話になっていた神父様をお訪ねした時の話しを。

(以下がその時の文章です)
 ○2013年4月17日
 先日、家内が学生時代からお世話になっているカソリックの神父様に面会にうかがいました。
 ご高齢なので上智大学神学部の一隅にある「ロヨラの家」という施設におられます。
 5分の面会もベッドで寝た状態で、でしたが一生の間祈りとうして来られた方の平安と威厳と明るさが直接伝わってきました。
 「ロヨラの家」にも同じ種類の平安が漂っていると感じました。
 宗教を持っている事の豊さが直接伝わってくる良い経験をさせていただきました。

 
 ○2013年12月24日
 家内が学生時代にお世話になったイエズス会の神父さまから、クリスマスカードをいただきました。
 写真に写っているのは老齢やご病気で引退された神父さま達です。
 明るいな〜この方たち。
 日本ではクリスマスは子供と若い人のイメージですが、
 人生の最晩年をこんなに明るくするのがイエス様の真骨頂という気がします。
 もちろん、この方達が生涯を財産を集めるためでも、権力を固めるためでもなく過ごしてこられた結果でもあると思います。
 一生涯をどういう方向に使うかは、人生の一大事であると考えさせられます。


その神父様がこの8月9日にご昇天されました。
去年お訪ねした時もパーキンソン病が進行し、ベットに横たわれての面会でした。
7月に「いよいよ危ないかも」という知らせを聞いていたのですが、この10日にご逝去の知らせが入りました。

父路門フランソワ(正確には)司祭は26歳の時に来日され、その後、東京の聖イグナチオ教会で司祭になられたそうです。
1966年から36年間上智大で教鞭をとられ、学生寮の舎監などをなさってられました。(この頃に家内が友人の勉学と信仰上の師としてお会いしました。)

11日に四谷の聖イグナチオ教会でのお通夜に家内と2人でうかがいました。

家内にとっては人生の節目節目で思い出す方だったので、「もう体の中にいない方が楽だし、魂になってかえってご活躍されるのでは?」という気持ちがありつつも寂しさは拭いきれないようでした。
私はキリスト教式のお通夜に参加するのは12の時の母親(プロテスタント)の通夜以来でした。

香典や香典返しの風習もなく、記帳するだけで入場し、簡素なお花とお写真が飾ってある祭壇を見て、いかにも故人のお人柄を表した感じだな、と思いました。
(司祭の方の通夜ってあんな感じなのでしょうか? 日本仏教だと地位のある坊さんの葬儀はすごく大層な事になります。)

祭壇のお写真を見ると、かなりお痩せになってからのお写真でしたが、故人の何処か厳しいところもありながらも、暖かい包容力のある人柄そのもののお写真でした。
式が始まり司祭の方の儀式、祈願があり、その時から皆で立って聖歌を歌うのですが、日本語訳のものはプロテスタントと同じ歌で小学生の頃歌ったのと同じものでした。

それから神父様達からのお説教という事になっていましたが、聖書からのお話しというより故人との想い出のお話しでした。施設の館長様がお話しなられた
「父路門先生は延命治療がお嫌いで、いよいよ口から食べられなくなった時に点滴をしようとすると、“いりません、私を神様のところへ行かせて下さい”とおっしゃるのですが、点滴はいまや特別な延命治療ではなく普通の治療ですから、と説得すると、考えてから受け入れてくださいました。」
というエピソードはいかにも故人のお人柄をしのばせるものでした。

もう一人の神父様がお話しされる際
「父路門先生が“これからは、皆さんのそばにいます。今までは皆さんが私のために祈ってくれましたが、これからは私が皆さんのために祈ります”と言っています。…と思います。」
と、初め一人称の伝言調だったのが言い直される、という表現が何度かあり、故人の霊の言葉をどこかで分かる、と思ってられるんだろうな、とおもいました。
近代仏教の葬儀では聞かれなくなった言い方でイイな、と思いました。

式次第が終わり、最後にご焼香、そのあと参列者全員一人づつご遺体にご対面させていただけたのですが、本当にお痩せになっていましたが、胸の前で手を合わされた綺麗なご遺体でした。
何の執着もなくキリスト様の居られるところに行かれたんだなー、とつくづく思いました。

外面上全く違う宗教なのですが、一生涯祈り通した先輩宗教家の死はとても美しいものが感じとれ、これからの私の生涯の指針の一つになるだろう、と思いました。

________________________________
以上ココまでが投稿文です(^-^)v


⇩コチラは、去年のロヨラハウスから届いたXマスカードの写真です☆
(クリックすると、大きく見れます)
ロヨラハウスからのXmasカード

父路門(フロモン)先生のご帰天☆

以前にこのブログでも
『フロモン先生』
『右手のすることを左手に知らすなかれ』
でご紹介した、父路門フランソワ神父様が
8月9日午前8時40分にご帰天になられた(享年83歳)、
との知らせをいただきました。

7月に友人から
「いよいよかもしれないから、会いに来るなら今のうちかも…」と知らせを受け、
他にお会いになりたい方もたくさんいらっしゃるだろうから…と、
祈りながら日々を送っていたので、覚悟は出来ていたつもりでしたが、
やはり、寂しく、悲しいものです。

10日は何故か、何をやっても力が妙に抜けた感じで動いている感がありました。

1ヶ月ほど前から、想いが先生に行く度に祈ってきたので
「ついに…」という感しかないのですが、
妙にしんみりとため息をつきがちだったり……。

頭では、パーキンソン病で肉体が意識とは別に思うようにいかない日々を送られていた先生にとっては
「魂が自由になられて、天に召されて自由にお働きのことだろう…」と思いつつも、
私自身の身体がその意識について行けず、悲しんでいるのがわかるのです……。

直接お顔やお声を拝見出来ないことへの寂しさや喪失感と共に、
身体が記憶している父路門先生という存在に対して、喪失した悲しみが身体と感情にあるようです。



父路門先生にお祈りをすると、重い世界の中で軽やかで輝く魂がいらっしゃるような感じがします。

最後にお会いした時にベッドから天井に向けて人差し指をヨロヨロと突き立てて「あちらに先に行ってお出でになるのを待っています」とおっしゃった言葉が忘れられません。

昨日(11日)は、1日中父路門先生の「通夜の儀」に参列することがメインの日となりました。

朝からの日常的な行為のそこココで、父路門先生の思い出や言葉がフと蘇るのです。

学生時代に親友の「師」として出会い、いつしか私の師にもなってくださっていた父路門先生。

人生の節目節目に必ず私の心の中で登場する大切な方でした。


様々なことを思い出す度に、ニッコリし、再び感動し、感謝する時間になっていく。

そんな時間を積み重ねて、さぁ、夕方となり、聖イグナチオ教会へ。



式の前に、しばらくの間、教会内の空間に父路門先生の輝くような愛の気配を感じ、
腰掛けて手を合わせながら、
心の底から「ありがとうございます!!」と感謝し続けていました。

パイプオルガンの音と共に、空間に広がっていた父路門先生の気配がスーっと消え、おや?と思いましたが、式の途中で中央に飾られていた父路門先生のお写真に、その気配が集まっているのに気づきました。
……式の参列者を見守って下さっているような気がしました。
遠く離れていて葬儀に来られない方々の手元にあるお写真にも、きっと同じように父路門先生がお出でになっているような気さえしました。


とてもシンプルで静かな、父路門先生にふさわしい「通夜の儀」でした。

弔辞を読まれた仏文の学部長さん(?)も、
ロヨラハウスの館長さんも、
お説教をしてくださった神父様も、
皆さま、父路門先生のエピソードを慈しむようにお話ししてくださり、
「そうそう、そういう方だよネ……」と少しだけ微笑むように耳を傾け頷く時間でした。

そしていよいよ、祭事で使うお香を使ってのお焼香をし、ご遺体と面会させていただきました。

それまでは式中微かに微笑んでさえいたのに(父路門先生は「泣かないで…」とおっしゃっていたのに)ご遺体を見た途端、私自身の肉体そのものが反応して(想いとはウラハラに)、涙がハラハラとこぼれ落ちました。

見事に、もうすでにそのご遺体から父路門先生は抜け出ていて(まさしくお写真の中に移動していらした)、「これからは、形を変えて皆さんの側に寄り添っていますよ」とおっしゃっている通りなのを感じました。

もう、このお体にはいらっしゃらない……という実感が私自身の肉体には、かなり悲しいことのようです。



今、私の心は喜びと寂しさとで半々の状態のような気がします。

妙に沈んだように静かであり、
今までよりも深い所で先生と対話が出来そうな静かなワクワク感があり、
先生から
バトンを受け取った一人でもある実感で、責任を持つ覚悟を決めた引き締まる緊張感すらあるのです。

……それが、そのまま身体に表れている気がしています。
(
しばらく、この身体の様子を見守ってみようと思っています。

今の私に、自分の身体を大事にする為に出来ることが、これしか思いつかないから。…そして、きっと大丈夫な気がしています。)

ある意味、肉体を離れられ、自由な魂として、何時でも何処へでも飛んで行かれる(すでに飛び回られている…?)気がして、行動的な先生にとっては、うれしいのかも…と思うし、いつでも心でお会い出来るのだから私にとってもありがたいことなのかも…とも思うのです。
でも、もう実際には生のお顔も拝見出来ないし、フランス訛りのたどたどしいリズムで話されるお声も聞くことが出来ない寂しさ……。
しかも、「もう、私のところに来ることからは卒業する時期ですよ。あなたのところに来た方々に、あなたがする番になったのですよ」と言われているようで、
いよいよ「恩送り」の時が来たのか……と心が引き締まる感さえあります。
出来るだろうか……?出来なきゃ、申し訳ないもの、きっと出来るよネ!


前日「 “おかえり!” と言える存在になりたい」と友人に言ったばかりでしたが、
父路門先生は、いつでも「やぁ、よくきましたネ!」とニッコリしてくださる存在でした。

……そうか、私の理想の方だったんだなぁ……。




父路門フランソワ先生、
心からの感謝と、
魂でのこれからのご活躍をお祈りいたします(U_U)☆
父路門フランソワ先生


追伸
やはり以前に
本『さよならのあとで』のことをご紹介したことがありますが、
まさしく、あの本は父路門先生のお言葉そのもののような気がしています。
そういう方なんです☆
よろしければ、⇩コチラも読んでみてくださいネ。
本『さよならのあとで』


絵本『かないくん』

『かないくん』
かないくん
谷川俊太郎 (著), 松本大洋 (絵)


今日ほぼ日ストアから届き、先ほど何度も何度も繰り返し読みました。

静かな静かな……音もなく過ぎていく「時間」を形にしたらこんなかもしれないなぁ…とフと思うほど、静かな、素晴らしい絵本です。

以前にご紹介した『さよならのあとで』という本が
死んでしまった方の側からのささやくようなメッセージだったのに対して、
(同ブログ/本『さよならのあとで』)
『かないくん』は
ココに残された側が死んだ人に寄り添い、
「死ぬ」ことって何なのか、日々の生活の中で感じている世界を、
この世で生きる世界に雪がはらはらと舞い落ちては消えて行くように、
心の中に浮かんでは消えていく「死と寄り添って生きて行くなりわい」の世界を深く深ーく静かに静かーに優しく優しーく、リアル化してくれている絵本だと感じました。

とにかく、松本大洋さんの絵が素晴らし過ぎる!!
谷川俊太郎さんの世界を、更にリアルに更に深く更に大きく広げています。
大洋さんのアイデアだというウサギや桜の木の存在も秀逸です。

死生観というのは、個人的に様々でしょうから、
そのことについてこの場で何かを言うつもりはありません。
でも、私も「次の始まり」だと思っているので、うれしかったのも確か♡
(「ひとりぼっち」とは思っていないかも……ww)

私も中年となり、谷川俊太郎さんと同い年の母と、母より6つ年上のちょっと痴呆気味の父がいます。
(実は、私も杉並第二小学校の出身です。)
「死」と密接に寄り添いつつある両親に、後悔なく「次の始まり」の扉を柔らかい心で開いてもらえるように、寄り添っていきたい…と静かな覚悟もつきました。

この本を創ってくださった総ての皆さんに、心から感謝したい絵本です。
ありがとうございます。



映画『ハンナ・アーレント』

ちょっと前に観た映画ですが、やっと落ち着いて書ける時間と体力が揃ったので、書かせていただきます。

映画『ハンナ・アーレント』
ドイツ系ユダヤ人であった哲学者ハンナ・アーレントは、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命しました。
1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕され、アーレントは、イスラエルで行われた歴史的裁判に立ち会い、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表、その内容に世論は大揺れに揺れる…というのが、この映画の内容です。
ハイデッガーの愛弟子らしく、人間の存在を強く希求する中で「考えることで、人間は強くなる」という信念のもと、世間から激しい非難を浴びて思い悩みながらも、アイヒマンに対して、「この男は悪魔ではなく単なる公務員だ。ここに我々の時代の悪の問題の困難さがある」と、彼のなし得た悪とは<悪の凡庸さ>であった、と主張し続けた姿が描かれています。

期せずして、私はこの物議のもととなったアドルフ・アイヒマン裁判のドキュメンタリー映画を観ていました。まさしく、アーレントが言うように、彼は不器用で融通の効かない小役人にしか見えず、一緒に観に行った友人と、見終わった後でお茶を飲みながら、顔を見合わせては「……ウーーム……」と、こんな男が世界を騒がす被告人とは……と、人間の奥深さに頭を抱え込んだものでした。
それを、アーレントは<悪の凡庸さ>という言葉で切り込んだことに、息をのむ凄まじさを感じ、自分に対しても、ドキリとしたのです。

映画の中で、教鞭をとっていた大学を追われかけている時に、学生たちに向かって彼女はこう言います。
「アイヒマンを裁く法廷が直面したのは、法典にない罪です。そして、それはニュルンベルク裁判以前は、前例もない。それでも法廷は彼を裁かれるべき人として裁かねばなりません。しかし裁く仕組みも、判例も主義もなく、”反ユダヤ” という概念すらない、人間が1人いるだけでした。」
「彼のようなナチの犯罪者は、人間というものを否定したのです。そこに罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検察に反論しました。何度も繰り返しね。”自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ” と。」
「こうした典型的なナチの弁解で分かります。世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は『悪の凡庸さ』と名づけました。」
「ソクラテスやプラトン以来、私たちは”思考”をこう考えます。自分自身との対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました。”思考の嵐” がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。ありがとう。」

私が自分のこととしてドキリとしたのは、「同じ(と思い込んでいる)日常の中で、パターン化し、そのパターンの中で(知ったつもりになって)考えるのをやめて、ただ機械的にその流れにのっていさえすれば安全であり、何らかの保証(と思い込んでいるもの)を保持できる(はずな)ので、この中で生きていればイイのかなぁ……楽だし……」と思う自分が顔を出す時があるからです。
まるで、彼女に、「 ”パターン化した生活に安穏と生きる、創造的ではない生活" は人間性を失うことにつながらない?」と問いかけられているような気がしました。
きっと、こうした ”わかったつもり” になることで考えることをやめ、無意識にその流れに身を任せた時に、アーレントの言う<悪の凡庸さ>が知らず知らずのうちに積み重なっていくものなのかもしれません。
本来なら、ひとりひとりが意識的にも感性的にも自立してこそ成り立つものが社会のはずなのに、パターンや ”わかったつもり” に依存してしまうことが、人間性だけでなく、自然や宇宙から離れていくことになるのかもしれません。

つまり、<悪の凡庸さ>というものは、誰もが心のすき間に潜ませているモノなのだ、と彼女は訴えているだけなのだと思うのです。

私自身でも、「病気である」という理由で都合が悪いことから忌避することが出来た時などは、うっかり「このままでもイイかなぁ…」なんてことを考えることがあります。(もちろん、やりたいことが出来ない事も多いので、いつまでも思っているわけではありませんが…)
ぼんやりとした甘い罠はどこにでもころがっており、それこそが、彼女の言う「悪の凡庸さ」の芽生えなのではないか……と、ドキリとしたのです。

人は「生きている」間中、身体細胞は生まれては別のものがなくなり、常に生まれ変わり、実は同じであることはないのだそうです。(なんとまぁ「生きている」ということは創造的なものなのでしょう!!)
……だとすれば、身体だけでなく、人の意識というものも常に創造的であればなぁ……と思うようになりました。
考えてみれば、そうした日常の方が楽しいに決まっているのです。

創造的であるということは、突き詰め過ぎれば苦痛を伴うこともありますが、日々の生活での工夫やちょっとした発見というものは、うれしいサプライズを呼び起こし、ワクワクし、心が躍るものです。
特に、自分以外の誰かの為にそれを使う時、思いも掛けないほどのギフトを逆に感じたり受け取ったりすることがあるのは、誰もが体験したことがあるのではないでしょうか?

彼女のいう「悪の凡庸さ」という言い方が厳しく感じ、責められているように感じる人も多いせいで、なんらかの反発を買ってしまうのでしょうが、要は、人間は常に創造的に愛をもって生きる生物であり、そこから離れることは危險なことだ…と彼女は言っているだけなんだと思います。どんなことでも ”わかっている” つもりにならず、ひとつひとつ丁寧に向き合って、自分の頭で自分らしく考え、創造的に生活していきたいものです。

映画『ハンナ・アーレント』オフィシャルサイト
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/






『昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン』

昨夜のカレー、明日のパン [単行本] 木皿 泉 (著)
昨夜のカレー、明日のパン
 木皿 泉(著)

う〜〜〜〜〜むむむ…………………。

どう、伝えたらイイのかわからないけれど、とにかくイイ!!素敵♡♡

どう伝えたら…というのは、「息ってどうやってしてるの?」と子どもに尋ねられて、当たり前すぎて、どうやって教えたらイイのか戸惑うように、戸惑ってしまう……という感じに似ています。


当たり前のような、何気ない日常が、やさしく繊細に、しかも温かく語られる小説。

私の大好きな脚本家の木皿 泉さんの作品ですもの、当然と言えば当然なのですが、いやいや、想像以上の出来ばえです♡♡

何故に「小説」なのか……その答えも、きっと脚本のファンなら読めばわかります。

脚本では出来ないナイーブで温かく豊かな表現がセリフ以外のすべての世界にちりばめられていて、しかも全体を俯瞰して見ることのできる「小説」だからこそ味わえる感動の重なっていく仕組みの巧妙さ。すべてが素敵過ぎます♡♡



何気ないように感じられる日常のきらめきをここで切り取ってご紹介するのは、あまりに無粋に思え、それはなるべく避けますが、タイトル自体が秀逸です。
タイトルの意味は最終章で明らかになりますが(それがまた……T^T)、すべての章を貫いているのが、今ココには居ない(亡くなった)人も含めた過去を抱き続けたまま、明日(未来)があることを信じて日常を生きているそれぞれの登場人物の「いま」が、実はもうココには居ない人と大きくつながって、周りの人とも関わって物語が紡がれている……という、何とも素敵で大きな「気づき」です。
読み進めていくと、「昨夜のカレー」「、」「明日のパン」の「、」が日常を紡いでいる「いま」であることに気づかされていくのです。

章ごとに主人公が変わるのですが、同じささやかな事件や出会いが、それぞれがどう感じ受け取っていたのか…その受け取り方と相手への思い遣りとで、微妙に響き合う音色がふくよかで温かで豊かな音色になっていくのを、読み手だけが感じていくことが出来る、なんとも素敵な世界!!
私の大好きな音楽家の方が「世界は交響曲(シンフォニー)であり、調和なのよ」とおっしゃったのを思い出しました♬
まさしく、読み終わった時、豊かで優しく温かなシンフォニーを聴き終わったかのような、感動とうれしさでいっぱいになります。

それは、ただただ日常を生きているだけのように思えている私たちのちょっとした不安を登場人物と一緒に払拭し、「動くことは生きること。生きることは動くこと」であり、「この世に損も得もありません」とうなずきながら、ただただ前に進むだけなのを、優しく励ましてくれるのです。
生きているって素敵でしょ……ってネ♡♡

『神のおもんばかり』と「足るを知る」

昨日ご紹介した岩崎 航さんの詩に出会い、私は久々に「詩」というものの力に興奮したのですが、
こういう時には、重なる不思議さというものがよく起こります。
何か、私に対しての、何処かからのメッセージなのかもしれませんが……。

実は、ご紹介した岩崎 航さんの詩の中でも、あまりにもプライベートに大切にしたいと思っていた詩はご紹介していませんでした(^^;;
それは、私が個人的に病人であり、この詩は、私個人としても、死ぬまで大切にしたい課題ともなったからです。
 ____

 病 という
 命の一プロセスを
 無いと思いたがる罠から
 抜けられたことは
 良かったと思う
 ____

 本当に
 「治る」とは
 何なのか
 一生を懸けて
 摑み取る
 ____

この詩をあえてご紹介したのは、新たに出会った「詩(メッセージと呼んだほうがイイかも…)」をご紹介するのには、必要だと思ったからです。
それは、先日のブログをアップした翌日に、私はまたまた素晴らしい詩と出会ったからです♡

実は、私は子どもの頃から激しいアレルギー症状と、扁桃腺炎と胃腸の不調(胃下垂と腸閉塞を幼少時に2回発症)、幼少時からの扁桃腺炎でしょっちゅう高熱を出し(当時の医学では抗生物質薬が大流行りだった為、長期間の持続的な大量の服薬で、しまいには薬でも扁桃腺炎を押さえることが出来ず、肥大しきった扁桃腺で窒息しそうになり、手術で扁桃腺を摘出したこともあります。抗生物質薬の摂り過ぎは、今でもいろいろと影響を与えています。)、
大人になってからも腎臓が弱く、腎臓結石でも何度も苦しみました。
そして今は、バセドー病と、今までのアレルギーと更年期障害が相まっての食事制限(卵や乳製品、トリ肉以外の肉、生の魚介類、小豆等が食べられなくなりました(付き合いが悪くて、申し訳ない(≧≦)))での毎日です。
原因不明に体内にガスが溜り、身体中が痛むこともしばしばです。
最近は身体のエネルギーの流れと関係があるのか、ちょっとしたことで、ジンマシンが出ることも多くなりました。

しかも、こどもの頃から生きづらく、普段は成績が悪くないのにテストとなると結果がひどく、両親と兄や先生にも「真面目にやれ!」「精神的に意志が弱過ぎる」と言われつづけてきたのですが、
20年ほど前から、どうやら自分自身が学習障害 LD( Learning Disabilities)であること、軽度のアスペルガー症候群に入っていたこと(幼稚園で先生に「自閉症」と判断され、母が怒って幼稚園をやめさせた経緯もありますが、先生の判断もあながち間違っていた訳ではなかったようですw)に気がついたのです。
オヤオヤ、不幸の押し売り状態のようになってきましたが(笑)、そんなつまらないことの為にお話しているわけではありませんので、しばし、我慢して読んでくださいネ(^^)

私にとっては、人間性で問題視されるよりも、障害だったのだ…とわかったほうが、自分への可能性を信じられたので、うれしかったのです。
でも、自慢出来ることではないので、あまり人に言うことはできませんでした。
自分自身としては、こうした障害や病弱であったせいで、自分なりに工夫と努力をしてきて、そのおかげでたくさんの素敵な方々や本や映画や音楽やアートや祈りとの出会いもあり、「今の自分」があるので、まんざら悪いことでもなかったのではないか…と思い始めていた時に、立て続けに出会ったのが岩崎 航さんと、この詩でした。

私は、この2つの出会いから、大きな勇気をいただきました☆☆
絶対に、私なりに治り、私なりの健康を取り戻せる!!と確信出来たのです☆☆

やれやれ、前置きが長くなりました……
それが、これからご紹介する詩です♡
作者不詳で、ニューヨーク市立大学リハビリテーションルームの壁に刻印された詩だそうです。
原題は「A Creed For Those Who Have Suffered」で、
直訳すると、「苦難にある者たちの信条」となったり『悩める人々への銘』と訳されることのほうが多いようですが、詩の内容からおもんばかっても、このタイトルがピッタリときます。
(これは神渡良平さんという方の意訳です http://warafuto.com/wrafuto16.html
_______

 神の慮り(おもんばかり)

 大きなことを成し遂げるために
 力を与えてほしいと
 神に求めたのに
 謙虚さを学ぶようにと
 弱さを授かった

 より偉大なことができるようにと
 健康を求めたのに
 より良きことができるようにと
 病弱な体を与えられた

 幸せになろうとして
 富を求めたのに
 賢明であるようにと
 貧困を授かった

 世の人々の称賛を得ようとして
 権力を求めたのに
 得意にならないようにと
 失敗を授かった

 求めたものは一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられていた
 言葉に表されていない祈りが叶えられていたのだ

 ああ、私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かで祝福されていたのだ
 __________

Facebookで紹介した時、友達の石黒 丈さんが、ご自分でもシェアしてくださった時に、こうコメントしてくれました♡

「「何故自分はもっと強くなれないんだろう?こんなにも弱いんだろう?」
  そう嘆いてばかりいた・・・そこで苦しんでいた。
  でも本当は
 「弱いからこそ成し遂げることの強さと勇気を知る事ができる」
  この詩を読んで、そう感じました。」

そうなんです!
自分が欠点だと、落ち度だと思っていたことが実は「希望」であり、
どんな人間でも、その状況や能力に、人と比較するのではなく、自分自身にとって何故こういう状況や能力に置かれているのか、神様はどんな宿題を自分に出しているのか…それを考えさえすればいいんだ、と思えます。

「足るを知る」という言葉がありますが、私の中では、この言葉とこの詩や岩崎 航さんの詩(岩崎さんの詩はアクティブな「足るを知る」かもw)は、同じ意味合いに感じています。
「足るを知る」というのは、単に今在るすべてのことに感謝し、甘んじることではなく、今在る状況はすべてが必要で起こっていることであり、それを大切に自分なりに最善をつくしていれば充分なのだ…一見自分にとって良くないと思われることもすべてひっくるめて、祝福され、希望に満ちたものである、ということを知ることなのだ…ということのように思えるのです。

最後に、再び、岩崎 航さんの詩で締めくくることにします。
 ___

 自分の力で
 見いだした
 ことのみが
 本当の暗闇の
 灯火(ともしび)となる
 ___
 
 本当の自分の
 大きさで歩もう
 一足飛びに
 往かなくても
 きっと 着ける
 ___

 ここにいる そこにもいる
 目の前にいる普通の人こそ
 知られざる
 勇者であること
 私は生きて知りました
 ___

おつき合いいただいて、ありがとうございます。
みんなで、どんな時も、幸せでいましょうネ!!


______________________

※ご参考までに『神の慮り』の原詩も掲載しておきます。

「A Creed For Those Who Have Suffered」

I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health,that I might do greater things
I was given infirmity,that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for-but everything
I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed !




岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』


点滴ポール 生き抜くという旗印
 岩崎 航(著)、齋藤 陽道(写真)

 ___

 嗚呼 僕も
 生きているんだ
 青空の
 真っただ中に
 融け込んでいる
 ___

吉祥寺のジュンク堂書店で、
ただボンヤリと、ウロウロと、あちこちのコーナーを物色していて、
フと「詩」のコーナーで、不思議なタイトルに気をひかれて手に取り、
本の帯にうん!?と思い、
表紙を開くと、扉にあった五行詩が上記の詩です。

もう1枚、ページをめくると、青空と作者の写真。
(これもスゴい写真です。……しかも静かで気が遠くなりそうなほど、なんとも素敵☆……本を見てネ(^_-)-☆)

そして次のページの「生き抜くという旗印」で、ノックアウトされ、購入するしかなかった本が、ご紹介しているこの本です。(こうした出会いがあるから、リアル本屋さんはとても大切♡)

岩崎航(わたる)詩集 『点滴ポール ~生き抜くという旗印』(ナナロク社)

何度も何度も噛みしめながら読み進まざるをえないくらいの強力な言葉の力に、
たいして厚くもない本なのに、結構時間がかかって、やっと読了☆☆

イヤーーー、すンごい本に出会ってしまいました!!
(もしかしたら、私が知らなかっただけで有名?)

著者の岩崎航さんは、仙台市在住の37歳。
3歳で進行性の筋ジストロフィーを発症。
現在は常に人工呼吸器を使い、
胃ろう(口から食事がとれないため胃に管を通してお腹に開けた穴)から経管栄養で食事し、
生活のすべてに介助が必要な体で
ベッド上で人生を過ごす日々。
10代で自殺願望に覆われ、
身体の苦しみに苛まされた20代を越え、
30代に、2011年には仙台の実家で被災し、
そして今は、漆黒の闇を抜け、とても強い一筋の光を掴んだかのような、ユーモアさえ交える程の詩を生み出しています。

「生き抜くという旗印」の後半を引用すれば
 (まず最初に私がノックアウトされた部分)
 ___

 あれからさらに二十年の歳月が経ち、僕は今、三十七歳になった。
 病状は、一層進んだ。
 あまりにも多くのことを失った。
 思うことはたくさんある。
 僕は立って歩きたい。
 風を切って走りたい。
 箸で、自分で口からご飯を食べたい。
 呼吸器なしで、思いきり心地よく息を吸いたい。

 でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。
 大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。
 でも「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。
 絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている。

 授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
 そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けていく。
 生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだと、そう信じている。
 闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。

 生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。
 僕は、僕のこの旗をなびかせていく。
 ___

ということ。
これは自らのすべてを受け入れ、さらにそこから飛翔した人生讃歌に他なりません。

言葉のひとつひとつが、彼自身とこの世界をつなぐつなぎ目にでもなっているかのように、
新鮮でかつ挑むような、それでいて愛に溢れた彼独自の言葉のセレクトは、
私にとって、久し振りに出会った「新たなる詩人」の出現とでも言えるような驚きとよろこびです☆
「こんな詩人が現代にあらわれるとは……」と、ある意味打ちのめされるような感動で、すぐには文章にも起こせませんでした。

私は、この頃、ダイアログという対話の場に参加する機会が何度かあり、言葉の力と、言葉のやりとりの場の力、というものにスゴイ力と創造性を感じています。
ダイアログというのは、単なる「対話」というよりも、ヒューマンバリューの定義をかりれば「参加者が自分の立場や見解に固執することなく、そのときどきのテーマを共に探求するプロセス」ということになるようです。自らの仮説や思い込みを保留して、出来事や意味をオープンに語り合い、さらに深い探求の結果、新しい行動や知識、意味が生み出されることを大切にした話し合いのあり方は、これから、様々な場で大きな力となっていくように感じます。

そんな時だからこそ、これほどの言葉を発信する岩崎 航さんの登場は、かなり大きな意味を持つように感じます。

とにかく、どの言葉にもノックアウト級の力がある言葉たちなので、
是非とも、読んでみてください☆

その中でも、今現在の私をノックアウトさせた五行詩を少しだけご紹介します。
 ___

 弾力を失った
 闇の中の魂に
 生きゆく力を
 蘇生させるには
 自ら光となるのみだ
 ___

 本当に
 心の底から
 願っていることに
 向き合えば
 いのち 輝く
 ___

 身に受けた「傷口」から
 栄養が取り入れられ
 いのちの限り生きていく
 それがなんで
 絶望でなどあるものか
 ___

 どんな
 微細な光をも
 捉える
 眼(まなこ)を養うための
 くらやみ
 ___

この本の最後にある『3.11 東日本大震災に寄せて』も、まさに圧巻です☆
彼自身が仙台の実家で被災し、家にいたご両親とヘルパーさんに必死にかばってもらい、その後呼吸器の電源を求めて病院、お姉さん夫婦の家へと転々としながら、この地震がもたらした想像を絶する惨禍を知り、「暗黒のかぎ爪」で心を摑まれ、震災後1ヶ月は詩を詠むことが出来なかったそうです。
その1ヶ月後に書かれた「打ちのめされて言葉を失っていることのありのままの姿」から始まり、「この震災に対する現在の僕の詩人としての応答」へとまとめられた詩です。そこには、希望と勇気と愛が込められています♡
(本で読んでくださいネ(^_-)-☆)

最後に、後書きにあった、素敵な言葉をご紹介して、終わりにします。
 ____

 幸せというものは何も日が照っていて、望みを叶えられて、順風のときだけに感じられるというものではありません。地の底でもがき苦しんでいたときに出会えた光に、震えるほどの幸せと、生きようととする力が内発してくるときがある。不思議なことだと思います。
 ____

本屋さんで見かけたら、是非手に取ってみてくださいネ。



「ありがとう」しかない♡

日付が変わりましたので、昨日になりますが、
28日の私の誕生日を、いろいろな形でお祝いいただきました♬
ここに、そのすべての皆さんに、
そして、直接のお祝いはいただかなかったけれど(ご存知なくて当たり前(^^ ))温かい繋がりを感じたすべての皆さまに、
心からの感謝を申し上げます。
ありがとうございます!!

イヤー、ついにゴーゴーイケイケオバンとなりました(笑)!
子どもがいないので、子どもの成長と共に成長することが叶わず、いつまでたっても変われずにいるために気持ちが若いままのせいか、体験と年輪を感じさせる重厚さが全くないので、その年齢でそれでイイのか!…とお叱りを受けても、仕方のないほどの私であることは、重々承知していますm(_ _"m)
でも、なんだか、このままでイイんだなー……と実感してしまった誕生日ともなりました(^^;)))/

考えてみれば、楽天のリーグ優勝が前日にあり、
28日の朝には『あまちゃん』の最終回があり、
東北の皆さんに少しでも元気になっていただきたいと、日々思っていた私にとって、
一緒によろこび、涙を流し、元気を取り戻すきっかけをたくさんいただけて、
既にギフトが始まっていたのでした♡

いつもは、お祝いのお食事会兼「生んでくれてありがとう」会を、実家の両親と連れ合いとでするのですが、
今回は父が軽い肺炎に見舞われ(無事にかなり良くなりました)急遽延期となった為、
とても静かに過ごす誕生日ともなりました。

モチロン、卵と乳製品を使わないカナムさんのケーキを特注でお願いし、それをいただいたことは、いつも通りです(^-^*)☆!!

ですから、昨日はちょっと自分に面白い趣向を課して見たのです♬
それは、頭に浮かんだこと、思い出したことや人、目に入った「うれしい」「素敵」と感じたことや人に、ひとつひとつ感謝してみよう…ということ♡
連れと井の頭公園を散歩し、吉祥寺の街をブラブラし、連れとも話しながら、
密かにひとつひとつに感謝しまくっていると、ものスゴーくイイ気持ち♡♡
今、自分がココに在ることも、すべてが、こうして感謝させていただいているすべてのおかげなんだなー…としみじみし、ゆるゆると温かな光で包まれていくような感覚がしてきます。
こんなにオバハンになるまで、これほどに「ココに生きていてイイんだ!!」と静かだけれど強く思えたことはなかったかもしれません(笑)
なんせ、ジェットコースターのような人生で、子どもの頃から、いろいろ複雑だったので……(^^)

これは、これを読んで下さっている皆さまが下さった、大きな大きなギフトです♡

誕生日を迎えると、いつも自分ひとりで生きてこれたのではないことを実感し、感謝でいっぱいになりますが、
facebookを始めてからは、自分と繋がりがないと思っていた方々にも、空間や時空を超えて繋がり支えていただいていることを実感するようになり、
本当にうれしく、感謝でいっぱいになります。
それが、今回ほど、腑に落ちるような体験で感じたことはありませんでした。

きっと、またチョットだけ生まれ変われちゃったな(^^ )ノ♪

皆さんにいただいた大きな大きなギフトを、次の方にお贈りすることが出来るように、自分自身も精進してまいります!!

ご報告と共に、皆さんへの心からの感謝を込めて……
ありがとうございます!!!



見えないものの大きな力

去年「ふんばろう東日本支援プロジェクト」という東北大震災の支援団体に参加していることを書きました。
そして、今もぼちぼちと参加させていただいています。
特に私は「心のケア」に関する部署にはあちこちと参加しています。
最近、その関連で、同じボランティアメンバーと直接語り合う機会を何度か得ることがあり、ボランティアというものについて、改めて考え、決意を固めたことがあります。

実を言うと、私はもともと、こうした支援にどうしても参加したい…という理由があるのです。
それは、ある意味、世間(世界)への恩返し…といった気持ちに近いものです。

20年近い前に、私たち夫婦は犯罪被害者の遺族となる、悲しく辛い事件と遭遇しました。…しかも更なる苦悩は同じ事件で犯罪加害者の家族でもあるという立場にも立っていたという事実です。……更には、その家族の一員でもある加害者の面倒を「家族」だからという理由で看なくてはならなかったのです。
実際にはその直接の立場に立ったのは私の連れ合いでした。あまりのことに、彼は壊れてしまうのではないか…と思わない日はありませんでした。でも、私にも現実は厳しく、やらなくてはならない社会的手続きや仕事、そして日々の「生活」に追われる毎日……。
その頃の私も、知人に言わせると、「壊れかかっていた」というくらい、立って生きているのが不思議なくらい痛々しかったそうで、本当に周囲の方々にはご心配をおかけしていたようです。
まぁ、私のことはさておき、連れ合いの状況はかなり深刻でした。それを見ていることしか出来ない自分自身に、無力感と絶望感を感じずにはいられない毎日……。
ある時、犯罪被害者の精神状態にも詳しい大学病院の精神科の教授を紹介していただく機会があり、連れ合いのことを相談に伺ったことがあります。
その先生は、深くいたわるような目で私を包むようジーっと見つめながら、
「あなたのご主人のことは、誰もどうすることも出来ないンだよ。
私が言うのは、申し訳ない限りなんだが、「時間」と彼自身でしか癒せないものなんだ。でも、必ず大丈夫にはなる。最短でも5年はかかるんだ。あなたは、彼の為に5年間じっと見守り続けてあげるしかないんだよ。あなたにその覚悟はありますか?」とおっしゃったのです。
泣きながら大きく頷いたあの時から、今の私はあるのです。

そして、その先生の言葉は本当でした。
(もちろん、その間に私は心のケアに関する本を読みあさり、連れ合いもカウンセリングやセラピー療法を受けたりもしましたが。)
それでも、今もこうして私たち夫婦が笑って生きていられるのは、周りの皆さんのたくさんの見えない大きな力の支えがあったからです。

この体験があるので、私は、震災の支援にあたっても「5年間は何らかの形で諦めずに関わり続けよう」と決めています。

それには、もうひとつ、今の私の原動力の元となっている、忘れられないエピソードがあるのです。
人知れず最もめげていた時に、ある友人が見えない力で私を救ってくれたお話です。
その友人はとてもとても優しくて、ナイーブ過ぎるくらいの人でしたので、その頃の私の状況を知らせていませんでした。彼女が「たまには会いましょうヨ」と連絡してきた時、「いつかは言わなくてはいけない…友達なんだから…」と覚悟を決めて会いました。
彼女は直ぐに私の異変に気づき、じっと私の話を聞いてくれました。
あらかたの事情が話し終わった時、彼女は私の手をギュッと握りしめながら、ハラハラと泣き出しました。
戸惑う私に、彼女は手を握りしめ続けながら、こう言いました。
「私が泣いちゃってごめんなさい…。私には、きっとあなたのことはわかりたくてもわかることが出来ないと思うの……。私は何もしてあげられない……。何の力にもなれない……。こうして泣く事しか出来ないけれど…でもね、いつもそばにいるから……。ごめんね……こんなでごめんね……。」
この言葉を聞いた途端、私もハラハラと涙を流していました。
……でも、それは暖かく私を包んでくれる涙でした。その頃は誰の前でも泣かずに動き回っていた私が、やっと人前で流すことのできた温かな涙でした。
この時初めて、私は「救い」を感じました。それまでにも、たくさんの励ましの言葉をいただいていたのに、彼女のこの言葉に、一番救いを感じました。

それは、彼女の中から溢れて来る目には見えない大きな力でした。
自分は無力で何もしてあげられない…という素直な事実を認めた先にある大きな「まごころ」と呼んだらいいのでしょうか…すべてを投げ出して共に泣いてくれたその気持ちの中に満ち溢れていた深い愛に、私は何にも代え難い大きな力を感じたのです。
目に見える形で助けてくれることが出来ないからといって、それだからといって助けにならない訳ではないことを、彼女は教えてくれたのです。
そうだ、こうした素直な心こそが大切なんだ…私も連れ合いに対して、まごころで素直に向き合いさえし続ければいいんだ…と彼女を通して、決意と覚悟を決めることも出来たのです。

ボランティアをしよう、困っている方々の支援をしよう、とする時、私たちはどうしても「こうあるべき」という理想を描きがちです。でも、十人十色というように、ひとりひとり出来ることは違うのです。そして、違うからこそ、裾野の広いサポートだって可能になるのです。違わないと困るのです。
もちろん、技術的ノウハウだって必要です。それはサポートする側の大きな自信となりますし、無駄のないサポートが出来ることでしょう。
でも、きっと基本は泣いてくれた友人のような、寄り添うような思いやりと相手のことを思い遣るのに必要な想像力なのだと思います。比較したり、目に見える途中経過では判断出来ない、見えないところに、大きな力があるのです。
「出来ない」「無力だ」と認め、謙虚になる時、はじめて見えて来るものがあるような気がします。
「出来ない」「無力だ」と認め、諦めずに謙虚になり、そこから「少しでも何か力になりたい」と思う時、自分では気づかなくても、大きな力が動き始めているのだと、私は感じています。

きっと、理想ではなく、愛が働く場所として、自分の居るその場所でまごころを尽くせばいいのでしょう。「出来ないこと」を素直に認め、無理をせず(無理をしない勇気を持って)、自分にも極力ストレスを与えない形で(要は気持ち良く、楽しく)働くことが大切なのでしょう。

いつも出す言葉ですが、
「天命を信じて人事を尽くす」そのものだ、ということに、
こう書いて来て、しみじみ思い知りました……☆☆

そして、もうひとつ、大切な事。
それは
「右手のすることを左手に知らすなかれ」 (聖書マタイ伝6章)
ということ。
以前フロモン神父様のお話(『右手のすることを左手に知らすなかれ』)で書いた通り
この言葉は、誰かのために何かをするとき、右手ですることを左手にはわからないようにするように、なるべく人に知られないように、相手にも気づかれないようにやることこそが愛である……といったような意味であると私は解釈しています。
これを実践出来るような、私なりの「青空の人」をめざします。

長くなって申し訳ありませんが、最後に、
最近読んだ「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんの『奇跡を起こす 見えないものを見る力 (扶桑社文庫)』のプロローグにあった言葉をご紹介したいと思います。
「目に見えない大切なこと」というコンセプトで語られている木村さんのこの文章には、私がすべてのもの(社会や世界といった)と繋がりながら、ここまでこうして生きて来ることが出来たことの大きな理由が示唆されているように感じました。
 
 「リンゴが実をつけてくれるようになったのは、「本当に大切なことは目に見えない」と気づいたときです。
  それまでの私は、普段、目に見えている部分ばかりに気を取られ、「本当に大切なところ」をまったく見ていませんでした。そして、自分の力でリンゴを実らせるのだと勘違いしていました。しかし、それは大きな間違いでした。
  人間にできることは、ほんの少し、自然の大きなつながりのなかで、たくさんの命が助け合った結果、リンゴが実るのです。「目に見えないもの」の大切さに気づいたとき、私はようやくそのことを理解することができました。」

「自分が」という想いを捨て、「目に見えないもの」を大切に謙虚に向き合うことが出来た時、きっと、私がやりたかった事が気づかぬうちに出来ているのだと信じて、これから4年間、私なりの「青空の人」をめざします。


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桜の樹の下

「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」
この衝撃的な言葉から始まる梶井基次郎の短編を早熟な友人から読ませられた中学生のあの瞬間から、私は美しい満開の桜の樹を見ると、すぐ次には「死体」を連想してしまう…という年月を重ねて来てしまいました……。
やっかいな固定概念として、今まで私にまとわりついてきたこのイメージは、時には妖しく私を幻想の世界にも誘ってくれますが、それでも、美し過ぎるものの向こうには必ず「死」というぼんやりとした絶望があるようで、心が晴れることはありませんでした。それでも、毎年、桜の樹を求めるように、あちこちへと桜見散歩をしてしまうのは、不思議なものですが(笑)。

そして、去年の大震災…。
あまりにたくさんの生命も生活も喪い、日本中が世界中が哀しみに包まれました。
そこにはもはや、「祈る」ことしか出来ない私たちがいました。
その無力感と祈りを体験したせいでしょうか、去年から桜の樹へのシミのようにこびりついた「死体」というイメージは、あまり大きな力を私に働きかけなくなってきていることに気づいたのです。
今でも「満開の桜の樹」=埋まっている「死体」というイメージはまず私の脳裏に即座に出て来るのですが、それにも増して、
「ああ、どんなことが起こっても、こうして桜の樹は咲いてくれる…」という、ありがたい気持ちが出て来るのです。
自然は、大震災のように猛威をふるい、私たちに絶望や哀しみや苦しみを与えることもありますが、それ以上に豊かさを与えてくれたり、美しさで包み込んでくれることもあります。それが、自然というものなのでしょう。

先日ご紹介した『さよならのあとで』という本との出会いも、今年の桜の樹と向き合う私に大きな影響を与えたかもしれません。(本『さよならのあとで』
この本のおかげで、「死」というものがそれほど絶望的なものに思えなくなってきたからです。

梶井基次郎の言葉から離れてみても、
活き活きとした生命そのものが花にはあるので、
こうして惹かれるし、切なさもフと感じてしまうものです。
それは、「死」や「喪失」というものが、当然のことながら生命のすぐソバにいることもどこかで感じるからでしょう。
でも、喪う悲しさが存在するのは、こうした活き活きとした生命のよろこびがあるからこそでしょう。
そのよろこびが消える訳じゃなく、喪ったと思った後でも、自分たちの中に共に今でもそれはあり続けていてくれることに、この本を通して気づいたので、それほどせつなくなくなったのかもしれません。
それは、去年から私の中でもうひとつ、大きな変化が起こっていることからも、わかります。
以前は人の多い桜の名所は苦手だったのですが、
去年と今年は、満開の桜の樹の下に笑顔の人達がたくさんいらっしゃることが、愛おしく、うれしく、ありがたいのです。
今年は満開の桜の樹の下で、喪ったすべてのものに対しても「ありがとう」と言い続けて桜見散歩を続けています。埋まっている「死体」も含めてネ(笑)。


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本『さよならのあとで』

『さよならのあとで』(夏葉社)/ 詩:ヘンリー・スコット・ホランド  / 絵:高橋 和枝
さよならのあとで
 詩:ヘンリー・スコット・ホランド
 絵:高橋 和枝



ジュンク堂書店新宿支店が閉店するということを知り、
惜しみつつ訪れた3月9日に、何気に手に取ったのが、この本です。
シンプルなのですが、言葉使いと素敵なイラストとその空白の魅力的なこと♪
2日後に3.11の大震災に向けてのお祈りの会に何気に持って行きました。
ところが、まるで必然的であったかのように、
この本を私以上に必要とされていた方と出会ったのです。
身近な方を亡くされて、しかも去年の大震災で多くの方々が亡くなったことが重なり
深く心を痛め、自分自身へも問いかける日々を重ねていらした方でした。
じっと、この本と向き合い、何かを思われたようでした。
その方がこの本を閉じた時、
その前よりもずっと、緩やかで静かな気配に包まれていました。
「ああ、今日この日のこの場の為に必要だったのだな…」と思う出来事でした。

生まれ出て来れば。必ず私たちに「死」は訪れます。
浄土真宗の蓮如上人は教義を消息(手紙)の形で分かりやすく説いた「御文」と呼ばれる書面の中で、こう書いています。
「当時このごろ、ことのほかに疫癘(えきれい:疫病)とてひと死去す。
 これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。
 生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。
 さのみふかくおどろくまじきことなり。」(五帖御文/第四帖第九通)
どんな病でも事故でも、どんな亡くなり方でも、
それがそもそも「死」の原因ではなく、
生まれて来たから死ぬのです。それが定めなのです。
でも、「死」は辛く悲しい。寂しい。苦しい。
…それもしばらくの間は感情として仕方のないことです。
それはそれでいいのだと思います。
苦く辛いものでも、味わい尽くさなければ、次へと踏み出せないものです。
でも、長く嘆き悲しむのは、
逆に私たちがその「喪失」を握りしめて離さないことで「忘れない」と思い込もうとするエゴなのかもしれません。
それを、私も個人的に体験して、思い知ったことがありましたので、
特に大震災以後、このことを、本来あるべき方向へと嘆き哀しみ続ける方の向きを柔らかくそっと変えるにはどうしたらいいのだろう…と思い続けてきました。
その大きな助けになる本と、奇跡のように出会ったのです。
それが、この『さよならのあとで』です。
ですから、もし身近に大切な方を亡くされた方がいらしたとしても、せめても1〜2ヶ月はそっとその方のお話に耳を傾けて差し上げるだけにして、この本はご紹介なさらないで下さいネ。その方が少し落ち着かれて、少し力が抜けてきたような頃にご紹介なさってくださいネ。

この本は、設定が
亡くなった方の側から、この世に残された親しい大切な人に対して語りかけられたものとなっている、素敵な本です。

1ページに1~2行の言葉と、
小さな何気ないかわいいイラストと、
時には何もない空白のページ…ひとつひとつの言葉が、
まるで本当に私のソバで私だけの為にそっとささやいているような、
そんな世界にすっと引き込んでくれます。

で、この本の素敵さを何とかお伝えしたくて、
YOUTubeにあげてみました♫

でも、この本はきっと朗読やこうした動画では魅力や素晴らしさは伝わらないでしょう。
この本を手に取り、ページをめくりながら、言葉とイラストとその空白とそこに流れる静かな­­時間からささやいてくる大きな波動に包まれなければ伝わらない...そんな本として「本」を全うした、素晴らしい奇跡のような本です。
ですから、これをご覧になった方は、
是非とも本屋さんで手に取ってみてください。

私にとっては、『千の風になって』に勝るとも劣らない大切なものとなりました。
「死」とは、喪失と悲しみの事実だけでなく、
その喪った大切だった人が「生きていた」という喜びの事実と、
「生きていた」喜びの事実はまだそのまま私と共にあり、それと共­­にこれからも生きて行くのだな...と、
私にそっとやさしく伝えてくれるのです。

こうした眼差しを私は体験したことがあり、
あれは、こうしたメッセージだったのだな…と今も温かな心で包まれています。

著作権とかの問題もあるでしょうから、このURLを知っている方しか閲覧できないようにしました。
ちょっと文字が読みにくくて申し訳ありませんが、画面を大きくしていただければ…と思います。

最後の英文は原詩です(もともとタイトルはないそうです)。

先日、ピナ・バウシュの映画のことを書きましたが、
まさしく、この本の語り手のようなピナ・バウシュの眼差しが映画を包んでいるようでした(特に、彼女自身のパフォーマンスの映像から…)。





映画『pina / 踊り続けるいのち』




先日、映画『pina / 踊り続けるいのち』観て来ました☆
私と連れとチェンバロ奏者のお友達と3人で♥

この映画は、
2009年に死去したドイツの世界的舞踊家であり振付家のピナ・バウシュと
彼女の手掛けたダンスにスポットを当てた、
『ベルリン・天使の詩』などのヴィム・ヴェンダース監­督によるドキュメンタリーです。
ピナの偉大な軌跡と、
彼女が長年にわたって芸術監督を務めたヴッパタール舞踊団のメンバーそれぞれの呟きのような語りと、
屋内外で躍動的に披露する彼女の振付によるコンテンポラリー・ダンスなどが、
まるでコラージュのようにめくるめくほどの映像で構成されています。

ものスゴい映画でした☆
3Dにしたかったのもよくわかる、3Dを非常にイイ使い方で映像化していました。
この3Dに対する考え方と使い方だけでも、画期的なことかもしれません。
何故なら、ヴェンダース監督は、かねてから 親交のあったピナから、20年前に自分の映画を撮って欲しいと依頼があったそうです。
でも、ピナの 芸術世界が映画の 枠に入り切れない…と思ったヴェンダース監督は二の足を踏んでいたそうです。
そこへ、やっと3Dが登場し、これなら行けるかもしれない…とGOサインを出したそうです。
しかし、皮肉にもその後すぐに、ピナは別の世界へ移行してしまった…。
それでも、彼女の芸術世界が生き続けているからこその、映画化となったそうです。
面白くない訳がありませんよネ。

やっと体力が戻って来たばかりだったのですが、
ものスゴーく疲弊しました(でもイイ意味でですからネ:笑)。
ちょっとみっちり詰め込み過ぎの感はありますが、
それも、ヴェンダース(監督)のピナへの愛の深さと理解し、許せます(笑)。

それにしても、3Dのパフォーマンスの数々は圧巻だったにも関わらず、
ピナが舞台で踊った、3Dでもないモノクロの映像の静けさと深い愛そのものを感じさせるそのパフォーマンスに一番感動してしまったのは、
やはりピナそのものの世界はピナそのものでしかまだ成り立たないという後世への課題であったのでしょうか…。

そういえば、チェンバロ奏者のお友達が、面白い事を呟いていました。
「師匠が亡くなった今だからこそ、いよいよ弟子達は自分のものを見つけ出し創造していかなくてはならない。ピナにそれを見てもらおうと、ある意味で弟子達は皆解放され、ピナが生きていた時より活き活きしていたわね」
彼女は、1月に世紀のチェンバロ奏者と評されていたお師匠さんが亡くなられたばかりでしたので、心の奥に響く言葉でした。

このお友達の言葉からも感じましたが、
「やはりピナそのものの世界はピナそのものでしかまだ成り立たないという後世への課題であったのでしょうか…。」と書いた、この課題は、ピナのお弟子さん達ならやりとげるような可能性も感じさせました。
ピナの随分前の頃の作品をかなり昔にテレビで観たことがあり、その頃から密かにファンだったのですが、
その頃の彼女はまさしくあの映像のままではありましたが、どこか尖った暗いものが強かった気がします。
でも、この映画の中の彼女は、厳しくてもどこか無邪気で、喜びと愛に満ちていました。

彼女は舞踊団のメンバーを「天使」と呼んでいたそうです。そして、メンバーひとりひとりを質問攻めにし、それに応えるメンバーの答えと共にダンスを創り上げていくのだそうです。
随分前にブログで『アートは作家ひとりにしては成らず』http://mina5east.blog.fc2.com/blog-entry-16.html というのを書いたことがありますが、
まさしく、ピナにとっても舞踊団のメンバーは、自分の世界を創りあげる大切なメンバーであり、それはコミュニケーションしていくことで自分の物語とメンバーの物語を響き合わせながら自分の中の奥の奥にあるものを捜し続けていく上での、必然的なかけがいのない存在だったのだろう…と、この映画を観ると思わせます。
そこから引き出されたのが、あの静かさと深い愛そのものだったのだろうな…と。
残された舞踊団のメンバーは、きっとこれからは、自分自身の物語を核にして、仲間の物語とかつてのピナの物語とを響き合わせながら、ピナの探し求めていた自分の奥の奥にあるものを引き出すことをしていけば、きっと、ピナがやりたかったけれどまだ叶わなかったことまで達成出来る人もいることだろう…と思わせてくれる映画でもありました。

これってきっと、私たちのささやかな生活でも、
私たちひとりひとりがまわりの人達とのコミュニケーションをもっと大切にし、
互いの物語を呼応させながら(響き合わせ合いながら)生きて行けたら、
お互いに素晴らしいものを引き出し合う事が出来る…ということですよネ。
そう出来たら、この世界も素敵に変わるのかもしれませんネ♡

一見の価値あります☆お時間あれば、是非☆☆


責めない生き方

今日のBSと総合NHKでやっていた『宇宙の渚』ご覧になりましたか?
素敵でしたネ!素晴らしかったですネ!!
次元を越えた視点で私たちの生きている世界を見せていただけて、
先日書いた『テイル・オブ・ワンダー』じゃないけれど、
私達は元々は平和に生きるように出来ているンじゃないか…としみじみ思いました。

先日書いた「人間でいたい!」の後、更にいろいろ思いが駆け巡りました。
自分で書いていて何ですが、妙に「責めて」いる自分を感じて…。

すべてと繋がっているのなら、誰かを責めるのは自分を責めることになります。
でも、責めることで問題が解決することなんて、果たしてあるものでしょうか?

自分がしたことに対して「責任」をとらなくてはならないし、きっといつか責任をとることになるのは、当然のことだと思うし、必ずそうなると信じています。
ならば、何故責めているのだろう…と。
もしかして、今起きていることを正視出来なくて、自分にも責任があると思うからこそ向き合うのが怖くて、現実逃避に近いものが働いて「責めて」いないでしょうか?(私自身にはそのケがあるように思いました…。)

今日の『宇宙の渚』を観ていると、妙に「責める」事自体がアホらしくなってきて、「責任はいずれとることになるだろうから、それはそれとして、問題は今をどう受けとめる事が出来るか…なのかも」と思えて来たのです。

一昨日観た映画『キンキーブーツ』に、こんなシーンがありました。
ドラッグクィーンのローラが工場の顧問デザイナーとなり、
工場の近くに住む老女の工員の所に下宿するのですが、
その老女に「あなたはもしかして男なの?」と尋ねられ、ドキリとしながら頷くと、彼女はニッコリと笑って「あらそう、わかって良かったわ。これからはトイレの便座を上げておくようにするわね」とだけ言って去って行くのです。

何があったのか?
どうして、そうなってしまったのか?
そんなことはどうでもイイわ、それより何より、
今はどうなの?
今のあなたの気持ちはどうなの?

淡々とニコニコして生きながら、そう言っているような工場の人達。
(もちろん、偏見と思い込みで接するマッチョな工員もいるのだけど、
 彼ともやがて少しわかり合い、いたわり合う所も素敵でした。)

今を大切にし、
今起きていることをそっくりそのまま受け入れて、
だからこそ、人間同士いたわり合っていきたい…。
先日のブログを書いて2日目で、
今度は『宇宙の渚』を観て、更に決意を堅くしたのです。

震災が起こってしばらくした頃、東京でも「買い占め」という残念な現象が起きました。その時に、私の連れが、彼のブログで書いたものがあって(『天真爛漫』)、
そこで「天命を信じて人事を尽くす」という言葉を紹介しています。
http://unchan7.blog38.fc2.com/blog-entry-8.html
「そこで、それをどうしたらいいか?という事について清沢先生が別のところで言われた言葉でいうと「天命を信じて人事をつくす」である。
「人事をつくして天命を待つ」という方は、およそ入学試験でも受けた事のある人は1度は意識したことのある言葉だろうが、これだと自分は本当に「人事」をつくしたのか?という疑問がつきまとう。もしくは結果が出せなかった時、自分を責める、という事になりがちではないかと思う。要するに「人事」の方に重点が置かれている。
逆に「天命を信じて・・・」という事が先にあれば、
何か知らないが、私を今の場所に生み出した力があって、ここに存在している以上、私にはここで為すべき事があり、がんばらねば……という気に自然になるように思われる。」

そうなんです、
「天命を信じて人事を尽くす」のであれば、
何が起こっても、誰が何と言っていようと、
私は自分が成すべき事をしているだけで、あなた方の評価の為にやっているのではない、と思えるなぁ…と。
誰かと対立する必要だって全くないよなぁ…と。

少しずつでも、「責めない」生き方をしていけるようになりましょう。
「天命を信じて人事を尽くす」のですから。
 

人間でいたい!__映画『キンキーブーツ』

私は昨日から悔しかった。

でも、その前から、
私はずっと悲しかった。
同じ日本の中で、震災に遭い、多くのものを失っただけで済まずに、
更なる、元々は人類が掘り起こさなければ遭わずに済んだはずの脅威の中でただ生き続けていらっしゃる方々とその土地に満ち溢れた悲しみと共に。
その影響を受けた海や生物や植物たちの悲しみと共に。

その悲しみと共に、
大切な友人の苦しみに今更にに気づいた昨日から、
私は悔しくて悔しくて、堪らなかった。

友人を苦しめていることは、直接は私のせいではない。
でも、私に、友人を苦しめている人を責められるのか…?
もちろん責めることが出来るだけの明らかなことはある。
でも、自分を守る為なら、自分さえ良ければ、自分の都合だけで、相手を支配しようとしたり、蹂躙しようとしたことはなかったか?
良いことをしているつもりの自分自身を自負し「これくらいのことは許されるよネ…」とイイ気になって知らず知らずの内に人を傷つけた事はなかったか?
ずっと続いているこの悲しみにだって、私にも責任はあったのではないか…。
自分にも少しは似た所があるからこそ、責任があるように思えるからこそ、悔しかった!

ちょうどそんな時、昨晩のことだが、
連れが読んでいて、ふと机に置いた小冊子の扉に書かれている文字が眼に入った。

「相手の人間性を無視すれば、自らも人間でなくなっていく」

自分の人間性を守るつもりで、相手を攻撃すれば、それは自分をも攻撃することになる…ということなのか?

そう言えば、昔観た『テイル・オブ・ワンダー』というロシア映画の中で、
放浪し続けてきた医者がある国で「真理を発見した!王様に会わせてくれ!」と騒いだため、捕まって裁判にかけられた時にこう言った。
「私はやっと世界の真理を見いだした!これを見てくれ!これが宇宙そのものなのだ!」と言ってボロボロのマントの裏を広げて見せた。
すると、そこには人体そのもののような宇宙地図が広がっていて、
「これを見ればわかるだろう!宇宙は、世界は、人体そのものと同じしくみで出来ていて、宇宙全体がひとつの生命体なのだ!だから、ココで戦争を起こしたり、コッチで憎み合ったりすることは、自殺行為に他ならないのだ!私たちは人間同士、自然とも仲良く平和に生きるようにできているのだよ!」
(…でも、彼の言い分は誰にも理解されず、彼は処刑されてしまう。)

この映画の言う通り、きっと私たちはどこかで繋がっていて、ひとつだからこそ、
私はこんなに悔しいのだ。
私はこんなに悲しいのだ。
人間でいたいのに、人間でいたいのに……!!

それでも、今朝は、この数日間、どうしたものか…と迷っていたことを、まるで少しでも煩わしい事を減らさんとするかのように、突然の降板宣言をして、そういう行動をとった自分に驚き、ちょっとだけ面白がって時間を過ごした。

そんな思いのままでも、お腹も空くし、笑いもする。

昼食後、発熱していたのもあって、なんとなくものを考えるのが嫌でTVを観ていた。
何気にBSに切り替えると、ちょうど映画が始まる所だった。

イギリス映画だった。
タイトルは『キンキーブーツ』
見終わる時は泣き笑いをしている自分がいた。
「素敵ねぇ…なんて素敵な人達…素敵ねぇ…」と呟きながら涙を流していた。
温かい涙だった。

ブーツの高いヒールの先で、
「メソメソうじうじする奴はサッサとおどき!!」
と蹴飛ばされたみたいだった。

映画のあらすじは、こう、
継ぐつもりもなかったのに、父親が急死してイギリスの田舎町ノーザンプトンの伝統ある紳士靴メーカー 『プライス社』を継ぐことになったチャーリーだが、会社は倒産寸前。ひょんなことから知り合ったドラッグクィーンのローラが足に会わない靴で悩んでいることを知った事がきっかけとなり、「女物の紳士靴」で市場開拓を思いつき、ローラを顧問デザイナーに起用し、工場の職人たちともすったもんだの挙げ句わかり合い、ミラノの国際靴見本市に打って出る…
といったコメディー。実話を基にしているらしい。

一見ポジティブに見えるドラッグクイーンのローラが抱える、マイノリティとしての苦悩や、その偏見を蹴飛ばしていくところといい、工場は「人そのもの」と気づいて行くプロセスといい、ドラッグクィーンのショーや選曲の絶妙さといい、靴の縫製過程のように、とても素敵にコンパクトに作られていた。映画の世界に入り込み、観終わった時には、私の心は違うエネルギーに転換されていた。

人間でいよう!
大丈夫、人間でいられるさ!
だって、こんなに素敵な所がたくさんあるじゃない!?
自分から諦めたり、ネガティブな感情に流されずに、決してブレずに、
素直なオバさんで行けばいいだけ。
当たり前の事を当たり前にやり、
自分をそっくりそのまま受け入れ、信頼し、感謝し、
相手も自分と同じ人間として対する事を心に誓い、尊重しよう。

きっと、まだしばらくは「悔しい」だろうけど、
さっきまでの私じゃないからネ。

このタイミングでこの映画と出会えたことが、まさしく奇跡 ☆ ☆


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